ただ、2時間21分の上映時間の中で、そのシーンは“一瞬”ともいえる短さだった。制作上さまざまな制約があるのは仕方がないこととはいえ、描かれた島民の様子も建物も賢二から伝え聞いた話とは随分と印象が違った。
「あれは想像の中で作った話みたいな感じで、父から聞いた話と全然違っているなと思いながら観ました。やっぱ結局、硫黄島イコール戦地っていう描かれ方で、当時の島の人々が戦後どうなったのかとかは、ほとんどの人は考えたりしなかったと思う」
「しょうがない」という報道で議論終了
報道の世界には、「カレンダー・ジャーナリズム」という言葉がある。過去に大きな出来事が起きた日に合わせて、その出来事にまつわるニュースを発信することを指して、そのような呼び方をする。
硫黄島について近年大きく報道されたのは、終戦70年の節目となった2015年、硫黄島を含む小笠原諸島の施政権が日本に返還されてから50周年となった2018年だ。
その報道で硫黄島の現状について触れたとしても「火山活動のため民間人は居住できない」など、国民の自由な上陸が禁止されたままの現状に疑問を呈さずに伝えるものばかりだった。そのことを踏まえて達美は言った。
「こういうことだからしょうがないんですよって報道されたら、そこで議論は終わっちゃうじゃないですか。それ以上のことについて政府の情報がメディアからは伝わってこないわけですよ。だから国民は何も知らない」
国の方便をそのまま伝えるだけでいいのか
国が火山活動を理由に再居住を許さないのならば、火山列島である日本中はどこも居住できないことになる。水がなく、産業の発展が望めないとの理由も挙げるが、戦前には1000人以上の島民が実際に豊かな生活を送り、現在も多くの在島自衛官たちが本土と変わらぬ生活を送っている。
そういった現状なのに、報道する側は、建前としか言いようがない国の方便を伝えるだけに留まった。結果、島民未帰還問題を疑問視する人がほとんどいない現状が完成した。それが「硫黄島民とその子孫がいまだに硫黄島に帰れない理由は何か」という質問に対する達美の答えだった。
北海道新聞記者
1976年生まれ、北海道出身。2023年2月まで5年間、東京支社編集局報道センターに所属し、戦没者遺骨収集事業を所管する厚生労働省や東京五輪、皇室報道などを担当した。硫黄島には計4回渡り、このうち3回は政府派遣の硫黄島戦没者遺骨収集団のボランティアとして渡島した。土曜・日曜は、戦争などの歴史を取材、発信する自称「旧聞記者」として活動する。取材成果はTwitter(@Iwojima2020)などでも発信している。北海道ノンフィクション集団会員。北海道岩内郡岩内町在住。初の著書に『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』(講談社)。
