「もし過去に戻って人生をやり直すことができたとしても、私は決してエベレストには登らない」
生還者の中には体を欠損した者、PTSDを患った者も……。平成8年に世界を驚かせた「エベレスト大量遭難事故」はなぜ起きたのか? 実際に起きた事件などを題材とした映画の元ネタを解説する文庫新刊『映画になった恐怖の実話Ⅲ』(鉄人社)のダイジェスト版をお届けする。
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「金儲けと人間の傲慢さ」が招いた悲劇
1996年5月、世界最高峰のエベレストで8人の登山家が命を落とした悲劇的な事故。2015年に公開された映画「エベレスト3D」ではこの事故を史実に基づいて描いているが、語られなかった真実がある。それは「金儲けと人間の傲慢さ」という、この悲劇の根本的な原因だ。
1990年代、エベレストでは観光登山が主流となっていた。プロの登山家が世界のアマチュア登山家に向け「公募隊」を募り、高額の参加費を条件に山頂まで案内するビジネスだ。この事故の主人公、ロブ・ホールもニュージーランドの登山家で、ガイド会社「アドベンチャー・コンサルタンツ(AC)」を設立。1996年までに39人の"顧客"をエベレスト登頂に成功させていた。
1996年初頭、ACは1人700万円相当の参加費で公募隊を募集。アメリカ人郵便局員のダグ・ハンセン、日本人登山家の難波康子、アメリカ人病理学者ベック・ウェザーズらが参加した。
彼らは登山経験は豊富だったが、8000メートル級の「デス・ゾーン」と呼ばれる危険地帯の経験者はほとんどいなかった。
「ビジネス優先の判断が招いた悲劇」
登頂当日の5月10日、ロブは一行に「14時までの下山」を厳命した。しかし、予想外のトラブルが続き、午前11時過ぎの時点で予定は大幅に遅れていた。ここで3人の参加者が「14時までの下山は不可能」と判断してチームから外れる。賢明な選択だった。
しかし、他のメンバーは予定の14時を1時間過ぎた15時ごろ、次々と登頂を果たす。映画では触れられていないが、ロブが時間の約束を破ったのは、「顧客が大金を払い、かつ登頂達成を強く希望したため」だった。これは会社の実績、今後の顧客獲得にも直結する判断だったが、この「ビジネス優先」の考えが悲劇を招くことになる。
ダグ・ハンセンは山頂へ向かう途中で疲れ、一行についていけなくなる。ロブは下山するよう諭すが、ダグはあきらめない。昨年も登頂を断念させた経緯もあり、ロブはダグを引き連れて山頂に向かう。
しかし17時ごろ、南峰を下る途中で天候が悪化。時速110キロのブリザード(猛吹雪)に見舞われる。ダグは意識が朦朧とし、ロブはガイドのアンディ・ハリスに酸素補給を指示するが、アンディ自身も低酸素症で判断力が低下していた。その後、ダグはクレバスに滑落死、アンディも行方不明となり、ロブは嵐の中で1人取り残される。
一方、難波康子はガイドのマイク・グルームらと途中で待機していたベック・ウェザーズを引き連れて下山するが、再び激しさを増したブリザードで仲間とはぐれ、下山ルートを喪失。精神状態も不安定となり、ベックとともに置き去りにされる。翌朝、救助に向かった医師のスチュアートは2人がまだ息をしていたものの、「助からない」と判断し救助を断念。難波はそれからまもなく息を引き取った。
映画では奇跡的な生還を遂げたベック・ウェザーズの姿で締めくくられる。彼は13日朝に自力で下山を始め、6000メートルまで下ったところで、妻の陳情を受けたアメリカ大統領の指示でヘリコプターにより救助された。しかし、凍傷で右肘先と左手の指の大半、鼻、両足の一部を失っていた。彼の顔には凍傷の跡が刻まれ、帰国後に再建手術を受けることになる。
この事故から生還した作家のジョン・クラカウアーは2015年のインタビューで「エベレストに登ったことは、私が人生で犯した最大の誤りだった。本当に後悔している」と語っている。彼の顔には今も当時の恐怖が蘇るたびに浮かぶ苦悩の表情が浮かぶという。「私は今もPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでいる。もし過去に戻って人生をやり直すことができたとしても、私は決してエベレストには登らない」
金儲けのための観光登山と、登頂への執着が招いた悲劇。この事故は、自然の前で人間の傲慢さがいかに危険かを改めて教えてくれている。
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