「もし過去に戻って人生をやり直すことができたとしても、私は決してエベレストには登らない」
生還者の中には体を欠損した者、PTSDを患った者も…。平成8年に世界を驚かせた「エベレスト大量遭難事故」。登山家8人が死亡する未曾有の事故を、生き残った者たちはどう振り返るのか? 実際に起きた事件などを題材とした映画の元ネタを解説する文庫新刊『映画になった恐怖の実話Ⅲ』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする(全2回の2回目/最初から読む)
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日本人女性も死亡…ビジネス優先の判断が招いた「悲劇」
映画でも描かれるように、顧客のダグ・ハンセンが山頂に向かう途中で疲れ一行に付いていけなくなる。ロブは下山するよう諭すも、ダグはあきらめない。昨年も登頂を断念させていることもあり、ロブはダグを引き連れ、どうにか山頂にたどりつく。そこで待機すること1時間。
17時ごろに南峰を下るとき、天候が悪化し時速110キロのブリザード(猛吹雪)が発生。ダグの体力は限界に達し、意識が朦朧としている。ロブは無線でガイドのアンディ・ハリスを呼び、酸素を補給するよう指示するも、アンディは酸素ボンベが空だと騒ぐ。
このシーン、映画を観ていてもよくわからないが、すでにアンディも低酸素症で判断力が低下しており、酸素が充填されたボンベを手にしていながら、全てのボンベの表示が空であるとパニックを起こしていたのだ。その後の下山途中で、ダグはクレバスに滑落して死亡、アンディも行方不明となり(滑落死の可能性大)、ロブは嵐の中で1人で取り残される。
一方、難波康子はガイドのマイク・グルームらと、途中で留まっていたベックを引き連れ7千800メートルの第4キャンプ付近まで下ったものの、夜、いったん収まっていたブリザードがまた激しさを増すなかで仲間とはぐれ、下山ルートを喪失。空になった酸素ボンベを必死に吸うなど精神も不安定となり、ベックとともに置き去りとなる。
翌5月11日朝、前日に登頂をあきらめた医師のスチュアートがシェルパとともに難波とベックのもとに赴く。2人はまだ呼吸していたものの、刺激には全く無反応。スチュアートは彼らが助からないものと判断し救助を断念、キャンプに戻った。難波はそれからまもなく息を引き取る。
