たった1人の男の判断ミスが、登山家8人が死亡する事故を招いた――平成8年に世界で注目を集めた「エベレスト大量遭難事故」。エベレスト登頂のプロが未曾有の事故を招いた理由とは? なぜ今も彼の遺体は回収されないのか? 実際に起きた事件などを題材とした映画の元ネタを解説する文庫新刊『映画になった恐怖の実話Ⅲ』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/最初から読む)
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1996年5月、世界最高峰の山、ヒマラヤ山脈のエベレスト(標高8千850メートル)で登山家8人が嵐に見舞われ死亡する事故が起きた。2015年公開の映画「エベレスト3D」はこの山岳大量遭難事故をほぼ史実に基づいてドラマ化した作品だが、悲劇の背景に、金儲けと人間の傲慢さがあったことにはほとんど言及されていない。
1990年ごろから観光登山が主流に
映画の冒頭で少し説明されるように、エベレストは1953年5月にニュージーランドの登山家、エドモンド・ヒラリー(1919年生)と、ネパール人のシェルパ(エベレスト南麓に住む少数部族で、一部の男性が荷物を運ぶなど登山に欠かせないサポートの職に就いている)であるテンジン・ノルゲイ(1914年生)が初登頂に成功、それに続く経験豊富な登山家や国家的プロジェクトの挑戦が終了して以降は観光登山が主流となった。
プロの登山家が世界のアマチュア登山家に向け「公募隊」を募り、高額の参加費を条件に山頂まで案内するというもので、1990年代以降、欧米を中心に数多くの山岳ガイド会社が設立される。
本作の主人公、ロブ・ホール(事故当時35歳。演:ジェイソン・クラーク)も、そんな山岳ガイドビジネスを本職とするニュージーランドの登山家で、1990年に七大陸最高峰登頂に成功、翌1991年にガイド会社「アドベンチャー・コンサルタンツ(AC)」を設立、1996年までに39人の“顧客”をエベレスト登頂に成功させていた。
同年初頭、ACは新たに公募隊への参加を1人6万5千ドル(当時のレートで約700万円)で募り、これに1995年に公募隊に参加したものの途中で登頂を断念したアメリカ人郵便局員のダグ・ハンセン(同47歳。演:ジョン・ホークス)、七大陸最高峰のうち六峰に登頂していた日本人登山家の難波康子(同47歳。演:森尚子)、アメリカ人病理学者ベック・ウェザーズ(同49歳。演:ジョシュ・ブローリン)、その他、世界的ベストセラーで後に映画化された『イントゥ・ザ・ワイルド/邦題:荒野へ』の著者であるジョン・クラカウアー(同42歳)、カナダの心臓専門医のスチュアート・ハッチスン(同34歳)ら8人が応募する。
みな登山の経験は豊富だったが、8千メートル級の峰を経験した者はほとんどいなかった。標高8千メートルは登山用語で「デス・ゾーン」と呼ばれる危険地帯だ。空気中の酸素濃度は地上の約3分の1。酸素ボンベなしで長時間滞在すると身体機能の悪化や意識の低下が起こり、最終的には死に至るとされる。

