「地獄の日々」だった中学時代
赤沢は1964年、中学校英語教師の父親と音楽・養護教諭の母のもと佐賀県で生まれた。職業柄、両親は教育熱心で、その期待に応えるべく小学校時代から勉学に打ち込み成績は優秀だった。が、同級生に馴染めずクラスで孤立。不安視した両親は息子を学区外の小学校に転校させる。心機一転、新しい学校では友人ができるはずと思ったものの、そこで待っていたのはいじめだった。赤沢は何か言われると激しく言い返す性格で、小柄な体型もあいまって、格好のからかい対象になった。
それでも小学校時代は軽い悪口を言われる程度だった。しかし、中学校に入るといじめはエスカレートする。駐輪場に停めていた登下校用の自転車が壊される、掃除用具のロッカーに閉じ込められる、女子生徒の前で下着ごとズボンを脱がされ下半身を裸にされる、プロレスごっこと称し椅子で頭を打ちつけられ何針も縫う怪我を負う、ドブ川の汚水を飲まされる等々。赤沢にとってはまさに地獄の日々だった。
耐えきれなくなった彼は父親に事情を打ち明け、助けを求める。が、返ってきたのは「いじめられるのは、おまえにも問題があるからじゃないか」という冷たい言葉。実は父親は赤沢が通う中学の教師で、息子の問題を校内の大事にしたくなかったらしい。
実の親さえ味方になってくれない絶望を抱えながら、なんとか中学校を卒業したものの心に負ったトラウマは消えない。どころか、湧き上がってくるのは将来必ず自分をいじめた人間に仕返しをするという強い憎しみだった。
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