父親による悪魔のような性虐待と精神支配の末、弟は自ら命を絶った。亡くなった弟・和寛さんのため、そして自分のために立ち上がった塚原たえさんは実名告発を決心した――。
性暴力の実情を長年取材するジャーナリスト・秋山千佳氏の連載「ルポ男児の性被害」が、『沈黙を破る 「男子の性被害」の告発者たち』(文藝春秋)として一冊にまとまり、今月発売となった。
本連載から、今回は、幼い日から父に虐待を受け続けたたえさんの、高校退学後の道のりを中心に紹介した記事を再公開します。(初出:2025年5月3日)
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和寛は、埼玉にある教護院に入所することになった。
教護院とは、現在の児童自立支援施設にあたる。不良行為をなした、または、なす恐れのある児童を入所させる施設だった。基本的に非行少年を対象としているが、少年院と比較すると、年齢や非行度合いが低い傾向にある。
和寛の場合は、家出の際に服を盗んだ窃盗と、無賃乗車が理由だった。
たえは和寛が非行少年と扱われたことに対し、今でもこみ上げるものがあるという。
「取材を受けた理由の一つは、弟の汚名をそそぎたいからです。私は弟のされてきたことを見ています。非行少年とされた弟が悪いんじゃなく、父親がそうさせたんだと言いたいです」
「逮捕できるけど、3年で出てくるよ」
一方、たえは、依然として父親と暮らさざるを得なかった。加えて、それまで祖母の家に預けられていた4歳下の妹も同居することになった。妹はたえや和寛と比べて、山口で同居していた時期も父親に暴行されることが少なかった。しかし年齢を重ねると、父親から性的な対象として扱われるようになってしまう。
たえは危機感を募らせ、妹を連れて警察に駆け込んだ。たえは事情聴取を受け、父親が呼び出された。
父親はたえにしてきた行為を認め、「性教育のため」だと述べたという。
しかし、父親は逮捕されなかった。警察官はたえにこう言った。
「お父さんを逮捕することはできるけど、3年で出てくるよ。仕返しとか大丈夫?」
たえが「怖いです」と答えると、父親は帰された。
「あの時、有無を言わさず逮捕してくれればよかったのにと思います。16歳の私にああいう聞き方をされたら、散々やられてきたんだから、仕返しは怖いに決まっているじゃないですか。脅しをかけられ口を封じられていたのをやっとの思いで言ったのに、助けてくれそうで大事なところは助けてくれない。警察も教師も、周りの大人が厄介事に巻き込まれたくなくて手を差し伸べなかったのは、ジャニー氏の問題と一緒ですよね」

