中学時代を通して男性教師から性暴力を受けていた栗栖英俊さん(48)。被害から30年以上が経ったが、2022年、加害教師を相手取って裁判を起こし勝訴した。栗栖さんは勝訴後、「実名告発」によって同様の被害に苦しんでいる人たちにメッセージを投げかけている。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏が徹底取材した。

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加害教師は定年後、充実した日々を送っていた

 コロナ禍の2020年11月、栗栖は「毎日充実してます」というタイトルのメールを受け取った。差出人は、中学時代に学年主任だった男性元教師。栗栖が中1だった時に「村越先生に股間を触られる」と相談し、「あの先生がそんなことをするわけがない」と取り合わなかった人物だ。

 メールからは、定年退職後も村越と親しくしている様子が伺える。

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「先月30、31日と村越先生、◯◯先生とともにgo-toトラベルを利用して佐渡まで行ってきました。新潟までは往復車で、佐渡ではレンタカーで。さすが、年だね。疲れました。今週27日には銚子まで行って銚子電鉄に乗ってくる予定です」

 栗栖は目を疑った。アクティブに遊んでいる様子の村越は、この2年前の2018年、栗栖が近況を探るために送った手紙にこんな返信メールをよこしていたのだ。

「心身共に病気で、すでに三年前から働くことが出来なくなっています。心は鬱病です。身体はいくつも病気で、一番重症なのは糖尿病です。いつ脳梗塞、心筋梗塞で倒れるかも、という数値で入院をすすめられています。もう誰とも会っていません。電話も出ることが出来ません」

 警察に「刑事事件」だと言われる性暴力を犯していた村越が、被害者の自分とは反対に、充実した日々を送っている。退職金と持ち家があり、働かずとも悠々自適でいられる。こういう元教師がいまだ野放しになっている理由を考えると、栗栖は虚しくなった。

 2017年10月。栗栖は千葉県教委と松戸市教委に自身の被害を伝え、調査を依頼した。

 しかし、期待していたその結果はあっけないものだった。

 松戸市教委学務課によると、行われた調査は、村越が定年前に勤務していた直近3校の学校長への聞き取りと、千葉県教委による生徒の在校時のアンケート調査を確認することだった。だが、わいせつ行為が疑われる事案は見つからなかった。村越本人には市教委から簡易書留で調査依頼を送付したが、期日までに返答はなかった。既に退職している“私人”であり、市教委には強制力のある調査権がないので、調査は同年末に終了した。

 以上が、市教委の回答だった。

 本人が同じ市内にいるのに書留を送るだけで、返答がなければ逃げ切りを許すのか。栗栖の被害当時を知る教師には現職の者も複数いるのに、彼らには聞き取りをしないのか。栗栖はこの調査内容に納得がいかなかった。

 そこでこの経緯を取材してもらおうと、全国紙など主要メディアに情報提供のメールを送った。しかしどこからも反応はなかった。

 情報提供メールの送信が100通を超えた2018年2月。ネットニュースを見ていた栗栖は、見知らぬジャーナリストが書いた「教師から『支配』のわいせつ」というタイトルの記事をたまたま目にした。その書き手にまでメールを送った。それだけ藁にもすがる思いだったのだ。後日、栗栖はこう語っている。

「フリージャーナリストといってもどういう方かまったくわからず、メールを送った時も20分くらいパソコンの前でにらめっこして、気がついたら送っていたというのが本当のところです」

 2日後に返事が来た時には「この人誰?」と思ったという。

 それが栗栖と筆者との出会いだった。翌月、松戸市内で対面した。初めて会う栗栖は、何かに怯えるような落ち着かない様子ではあったが、被害に関する分厚い資料を持参し、必死に語った。夕方始まった取材は4時間近くに及んだ。

 このときの栗栖の話は同年、雑誌「保健室」(現在は廃刊)6月号で仮名の記事になった。それを皮切りに、月刊文藝春秋などで順次記事化していった。

 こうして自身の記事が世に出たことを「訴訟への出発点だった」と栗栖は振り返る。

「とうとう事件が表に出た、これでなかったとは言わせないという思いが湧いてきて、手が震えたのを覚えています。私の中学当時のことを知る立場の人には都合の悪い話なので、ずっと誰も聞いてくれない、認めてくれないという状況でしたから」

栗栖さん

 以降、栗栖は様々な媒体の求めに応じ、証言した。他の被害者たちの声と相まって、教員による性暴力を許してはならないという世論が高まり、2021年5月には「わいせつ教員対策法」が成立している(2022年4月施行)。

 だがその時期の栗栖個人はというと、苛立ちを募らせ、疑心暗鬼に陥っていた。