「未来に向かって私たちはどう生きるべきか」
本書は、一見すると妖怪もの、怪異譚の体裁を取っていますが、根底にあるのは「未来に向かって私たちはどう生きるべきか」という倫理的な問いかけのように思います。ウツログサは普通の人間の目には見えない、でもたしかに存在している植物の妖怪みたいなものですが、この「異質なもの=非人間」は、日本人の集合的な無意識や、より大きな自然界の「いのち」の連環を象徴するものとして描かれています。
そして各物語の終盤に、祓い師として登場する笹目という男は、年齢不詳ですが意外に若く、団地の庭園にグレーのパーカー姿で現れます。ウツログサに取りつかれた宿主たちを驚かせないように、控えめな語り口で話に耳を傾けます。
ウツログサと戦い、強引に駆除する仕事人としてではなく、「自分たちもウツログサのすべてを把握しているわけじゃない。わからないことばかり」と言って、この霊的存在、あるいはそれに憑かれた宿主に寄り添って、対話しながらどう折り合いをつけるのか、共生の道を探り当てようと努めます。もののけと争う陰陽師とは対照的に、むしろケアラーのような役まわりを演じます。
この物語が秘める私たち現代人の内面
物語に登場する人物たちは、それぞれに心の傷や喪失感を抱えています。現代人の孤独な内面の映しであると言えるでしょう。ウツログサもいわゆる妖怪とは異なって、自分からは動きません。植物とか菌類に似て、ただ生えて、増えるだけ。人に危害を及ぼすものというより、人の理(ことわり)の外でその「いのち」をまっとうするために人に宿るものとして現れます。人の心や欲望と結びつきやすく、ときに人が見たいものを見せる。けれど人の心を理解しているわけではない。ウツログサには心も知性もない。それっぽく見えるだけで、ほんとうは人が自分の思いを投影しているだけなのかもしれない。
けれども、両者の生が交錯するところに、私たちが見失っていた魂のありかがほの見える気がします。おそらく著者がこの作品を書きたいと思った動機には、それにつながる著者自身の体験やいまの時代状況に対する応答があるように思えます。
「わからないことばかり」と言いながら、ウツログサに向き合って「いのち」の不思議、この世のなりたちを探求している笹目には、何かしら大きなミッションが託されているようにも思えます。彼の人間・非人間を見る謙抑な姿勢には、未来をひらく希望を感じなくもありません。
思えば、言葉というのも植物由来です。著者の紡ぐ言の葉が、読者の心に酸素を届け、人間と自然、意識と無意識、生者と死者、そして過去の記憶と現在・未来をつないでくれます。今後の物語の展開をさらに楽しみにしたいと思います。
