40歳のときに「電撃性紫斑病」という大病を患い、両脚と両手の指の切断を余儀なくされた横田久世さん(47)。その後、義足ランナーとして活動を始め、2025年3月には東京マラソンを完走した。
発症時の状況から現在までの壮絶な日々、そして心の変化について、ライター・松永怜氏が詳しく話を聞いた。
「おにぎりは食べるんだ…」絶望の淵から見つけた生きる希望
横田さんが病気を発症したのは、娘のチアダンスの練習を見ていた日のこと。突然、体調が急変して病院に運ばれ、そのまま意識を失った。
「(意識を取り戻すと)口に管が入っていて、体は全く動かないのに、目だけが見えていました。今、自分がいる世界が現実なのか幻なのか、全くわからないんです」
電撃性紫斑病の診断を受け、両脚の膝から下と両手の指の切断が必要だと告げられた。2回に分けて行われた手術は耐え難い激痛を伴い、特に2回目の手術後、横田さんは精神的に追い詰められた。
「どうして私を助けたんですか!」「死にたい!」そう叫び続ける横田さんに、看護師がおにぎりを届けた。
「ずっと『死にたい! 死にたい!』と叫んでいたのに、手の断端(切断した部分)を包帯でぐるぐるに巻いた状態で、ベッドのテーブルに置かれたおにぎりを食べたんです。その姿を見て旦那が『おにぎりは食べるんだ……』とポツンと言ったとき、初めて2人で笑えました」
この何気ない瞬間が、横田さんの心に変化をもたらした。
「あれだけ『死にたい!』と叫んでいるのに、おにぎりは食べるんだって。そのとき、私、生きられるかもって思ったんですよね」
人生を変えた熊本城マラソンへの挑戦
退院後は、娘たちとの関係に悩まされた横田さん。「一緒に歩きたくない」「義足を絶対人に見せないで」「手はアームで隠して」と言われ、毎晩泣いていたという。
そんな状況を変えたのが、2020年の熊本城マラソンへの挑戦だった。娘たちは当初反対したが、大会当日、10キロ地点で号泣しながら応援してくれた。
「娘たちとは昔みたいにすごく仲良くなりましたね。『ママ、あの時はひどいこと言ってごめんね』と謝ってくれて」
横田さんは現在、「病気になる前よりも人生が楽しい」と断言する。
「手術をした後の方が、圧倒的に人生が楽しいですね。もちろんショッキングな出来事でしたが、今はやりたいことを見つけて自分から動くようになりました。
昔は『自分さえ良ければいい』と思っていたかもしれませんが、それだと人生は良くならないんです。今は周りに感謝しながら、自分にできることを伝えていきたいです」
逆境を乗り越えて見つけた新たな人生。横田さんは今日も走り続ける。
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横田さんが語った発症当時の状況、退院後の生活で辛かったこと、フルマラソン出場を決意したきっかけ、そして病気前から寄り添い続けた夫の存在など、さらに詳しいインタビューの全文は、
#1『「あれ、体が動かない」「指先が真っ黒に…」40歳で両脚と両手の指を失った義足ランナーが語る“発症した日”の壮絶な記憶』
#2『40歳で両脚と両手の指を欠損→娘たちに「一緒に歩きたくない」と言われ…義足ランナーの女性が語る“退院後に毎晩泣いていたこと”』
#3『「500メートルで息切れ」「家族から猛反対」40歳で両脚と両手の指を失った2児のママがそれでもフルマラソンに出場した“納得のワケ”』
#4『「病気になる前は離婚も考えたけど…」40歳で両脚と両手の指を切断した義足ランナーが明かす「この結婚で十分」と思えた“夫の変化”』
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