40歳のときに「電撃性紫斑病」という大病を患い、両脚と両手の指の切断を余儀なくされた横田久世さん(47歳)。2025年3月には義足で東京マラソンを完走するなど、精力的な活動を続けています。

 切断手術を終えた横田さんでしたが、それからも辛い出来事が続いたといいます。当時のお話を伺いました。(全4回中の2回目/続きを読む

横田久世さん ©︎細田忠/文藝春秋

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右手の親指に残った「奇跡の2センチ」

——病院ではどんなリハビリをしていましたか?

横田久世さん(以下、横田) 救急病院では、腹筋がかなり落ちていたので筋トレをしたり、車椅子に乗る練習をしたり、関節が硬くならないようにストレッチもしていました。

 最初は、これから車椅子の生活になるのかなと思っていたのですが、途中から「義足もいけるかもしれない」となって、リハビリ病院に転院する直前、義肢装具士さん(義手や義足などを製作する専門の人)に仮の義足を作ってもらいました。

——義足をつけて歩く練習はされましたか?

横田 体を後ろから支えてもらいながら、平行棒につかまって歩きました。病気になってからずっと車椅子の目線だったので、義足で立って、以前の目線に戻れたのがすごく嬉しかったですね。

 その後、リハビリ病院に転院してからは、断端(切断した部分)を保護するために包帯を巻く練習もしました。義足が完成すると、歩く練習も本格的に始めました。

 1人でもどうにか歩けるようになると、リハビリ以外の時間でも義足をつけて廊下を歩き、病室から病院内のコンビニまで行くのがちょうどいい気分転換になったんです。

 ただ、夜になっても1人で歩いていたので、看護師さんに危ないと言われて、夜は義足を預けていましたね(笑)。

トレーニング中の横田さん(ご本人提供)

——それ以外には、どんなリハビリをされましたか?

横田 退院後の生活を考えて、料理の練習もしました。本来は左利きですが、右手の親指だけ2センチ残っていたので、左手から右手に利き手を変えたんです。

 この右の親指は「奇跡の2センチ」と呼んでいるのですが、この2センチが残っていたおかげで、なんとか家事もできました。