40歳のときに「電撃性紫斑病」という大病を患い、両脚と両手の指の切断を余儀なくされた横田久世さん(47歳)。2025年3月には義足で東京マラソンを完走するなど、精力的な活動を続けています。
横田さんがマラソンに初出場したのは、2020年の熊本城マラソンでした。一体なぜ、出場を決意されたのでしょうか。当時のお話を伺いました。(全4回中の3回目/続きを読む)
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最初の頃は「500メートルで息切れ」
——手術の2年後、熊本城マラソンに初出場された経緯を教えてください。
横田久世さん(以下、横田) 脚と手(の指)を切断してから、たくさんの人に支えられてきました。だからこそ、一人でも多くの人に「私は障がい者だけど元気です!」と見せられるものはなんだろう?と考えたんです。
パラスポーツに挑戦しようかとも考えましたが、私が住んでいる熊本ではマラソンがメジャーだったので、「マラソンでいいんじゃない?」と、わりと気軽に決めました。
でも、いざランニング用の義足で500メートルほど走ってみたら、もう「死ぬんじゃないか……?!」と思うくらい息が上がってしまって。
そもそもマラソンはほとんど未経験だし、走るのも好きじゃなかったんです。でも、すでに申し込んでしまったし、みんなにも「出る」と宣言していたので、やるしかありませんでした。
9月に申し込んで、大会は翌年2月。練習が嫌で嫌で、結局12月まで練習しませんでした。大会直前の2カ月でなんとか練習して走った感じです。
自分がどこまでできるかを見せたかった
——コーチやトレーナーなどの指導は受けましたか?
横田 特に誰にも習いませんでした。誰かに教わると、その通りにやらなきゃいけないじゃないですか。
私が挑戦したかったのは、速く走ることやゴールすることではなくて、「誰でも諦めなければ何かできる」ということや、自分がどこまでできるかを見せること。自分のペースで進めたかったんです。
でも、周りからは「こういう走り方がいいよ」「手の振りはこうした方がいい」と言われました。確かに「習った方がいいのかな」と思うこともありましたが、私が通る道はそこじゃない。
うまく走れなくてもいい。遅くてもいい。自分が決めた約束を守っていける自分でありたいと思いながら、1人で練習を続けました。

