「痛い」とか「苦しい」なんて言ってられない
横田 自助具(障がいや病気、加齢などで動作が難しい人を補助するための道具)の包丁を使って卵焼きを作り、家に帰ってからも簡単なおかずが作れるように練習しました。右手で字を書く練習も一から始めましたね。
(両脚を)切断するのが膝上か膝下かで、その後の生活が随分変わると聞いたのですが、私は膝下で切断できたので、とても恵まれていました。「痛い」とか「苦しい」なんて言っていられないなと思いましたね。
歩くことに慣れてくると、1人でランドリーに行って洗濯をしたり、服を畳んだり、できることはどんどんやっていきました。
——心が折れそうになることはなかったのですか。
横田 リハビリ病院では一度も泣かなかったし、心が折れることもありませんでした。むしろ、周りの環境が良かったので、入院生活も楽しんでいたくらいです。
入院中でも普通に生活できている気がして、退院してもなんとかなるだろうと思っていました。
でも、それが自分の妄想だったと後から気づくことになるんですが……。
「入院した日のまま」だった家の中
——退院されてからは、どんな状況でしたか?
横田 いや、もう無理なんじゃないかと思いました。自宅での生活は本当に厳しかったです。家族もそう感じていたと思いますし、最悪のスタートでしたね。
退院したら家族が助けてくれて、どうにかなるだろうと思っていたのですが、それが甘かったと退院当日に気づきました。4月に退院したのですが、家の中は私が入院した12月のままだったんです。
入院している間、旦那と娘たちは私の実家に住んでいて、生ものは処理してありましたが、衣服や毛布は入院前のままでした。
病気になるまで、家事も子育てもワンオペでやってきましたが、退院しても状況はほとんど変わりませんでした。旦那からは「俺たちどうやって生活するの?」と言われてしまって。「いやいや、こっちが聞きたいよ」という話なんですけど……。

