旧満州引き揚げ者を支えた「千振一家の精神」

 那須町には同じような開拓集落が22もあったが、別荘地として土地を売るなどしてしまい、これほど酪農家が残っている地区はない。

県内有数の酪農地帯に発展した千振 ©︎葉上太郎

 秘密は団結力だ。その要となっているのが千振開拓農協である。

 同農協は千振の全戸参加で1948年に発足した。初代組合長は吉崎元団長だ。農業資材の購買など通常の農協業務以外にも、自治会など多くの組織の事務局を兼ねてきた。独自の井戸を持つ千振専用水道まで管理している。元日に新年会、4月に桜まつり、11月7日に入植記念式を主催し、組合員(各戸の世帯主)が亡くなれば組合葬を行う。相談を持ち掛ける人もいて、「千振は組合長の下でまとまっています」と、祖父が初期の副組合長を務めた大沼和彦・那須町企画財政課長(57)は語る。

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 だが、組合長に全権委任の組織ではない。そもそも組合長と役員は全組合員の投票で決められる。薬袋(みない)治雄組合長(68)は「全国から様々な人が集まっただけに激しい議論もしてきました」と話す。ただし、「結論が出れば一致団結するのが旧満州時代からの『千振一家の精神』」と中込さんは語る。中込さんは1975年から14年間組合長を務めた。

お互いに助け合うが、ボランディアではない

 同農協には全戸からの「預かり金口座」がある。2002年に預金業務を止めた後も利息の付かない口座として維持してきた。ここから税、公共料金、新聞代などを農協が引き落とすので「自分で払うのは生命保険ぐらい」と言う人もいる。

 これが酪農家の武器になった。

 酪農の収益は口座に入れるので経営状態が丸見えになる。「組合がマズイと判断したら早めに指導するので、千振には経営難で酪農をやめた人はいません」と、150頭を飼う北向(きたむかい)秀雄さん(69)は言い切る。

集落でも有数の酪農家、北向秀雄さんと秀樹さん(左から) ©︎葉上太郎

 酪農家同士は仲が良く、牧草の刈り取りでは手伝い合う。だが、ボランティアではない。機械を動かした距離で労賃と経費を支払う。口座間のやり取りだから簡単なのだ。馴れ合いの関係ではなく、合理的な協力体制を作っている。