「父は今も、浮浪児だった頃のことを語りません」

 千振には30~40代の酪農後継者が11人もいる。秀雄さんの長男秀樹さん(35)はその一人だ。

「開拓で苦労して増やした牛です。当然のようにして跡を継ぎました」と秀樹さんは言う。そうした使命感以外のやりがいもある。「組合には後継者の口座もあり、同じ家族でも給料制にしています」と秀雄さんが説明する。古くからの仕組みで、新しい魅力を創出しているのだ。

 千振ではこのところ新しい野菜や果物の農家が増えた。

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 辻岡充さん(48)は2010年、リゾート運営会社を辞めて帰ってきた。きっかけは長女の千宙(ちひろ)さん(11)の誕生だ。「大学進学で離れて以来、戻る気はありませんでした。親も農業を止めていて、帰郷には反対でした。でも、娘は故郷で育てたいという思いがふつふつと沸き上がってきたのです」と話す。千宙さんの「千」は千振から取った。

「旧満州での体験は祖父母から聞いてきました。逃避行中にはぐれ、1年間ほど浮浪児になった父は今も口を開きたがりません。苦労して開拓した集落だけに、なくしちゃいけないという思いはあります。温かい集落だとも感じてきました。でも、なぜ娘の名前にしようというまでの思いが芽生えたのか」

 就農直後は既存の販売ルートになかなか入れてもらえなかった。開拓者精神で朝どれ野菜や珍しい西洋野菜をホテルなどに売り込み、経営を軌道に乗せた。寒暖差のある高冷地で収穫する甘いトウモロコシは町のブランド産品に認定されている。

 畠山奈々子さん(25)は三年前、父義光さん(62)と母ふみ子さん(58)の夏イチゴ栽培を継いだ。

「開拓でできた畑を自分の代でなくしたくない」という消極的な考えが就農のきっかけだ。しかし「アメリカ産が多い夏イチゴを全て那須産にしたい」という意気込みで父母が栽培したイチゴは、外国産と比べ物にならないほど美味しかった。農業短大や県のいちご研究所などで修行を積み、既に県外から注文が舞い込むほどの実力を身につけている。

イチゴハウス。右から畠山奈々子さん、義光さん、ふみ子さん ©︎葉上太郎

 千振の若手農家に特徴的なのは、祖父母や父母の苦労に対する思いだろう。だからこそ、就農する。しかし、それ以上に新しい産品や取り組みに挑戦して道を切り開く。開拓者の血は脈々と流れている。

「開拓は決して死なない」。集落の「開拓」碑にはそう刻まれている。

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