町に当て書きをした脚本を
――「町に当て書きをする」というのは面白いですね。映画は原作や脚本、物語が先にあって、そこからスタートすることがほとんどだと思うのですが。
加藤 むしろ、私たちにとっては物語が先にあるというのが想像しづらいんです。これまでも、人と場所がすでに決まっているところで関係性を考えていくという形でした。
豊島 『距ててて』では登場する家が先に決まっていたので、人と家で何ができるかを考えて脚本にしていきました。『わたのはらぞこ』でも上田という町で撮るからこそできることをやりたい、と。単に架空のストーリーのロケ地として町を利用するんじゃなくて、この場所じゃないと撮れないシーンを想定して作る。それが、私たちなりの上田という町への誠実な気持ちだと思ったし、この町を描くことの「必然性」をちゃんと考えて作りたかった。そうなると、やはり「当て書き」という手法にこだわりたいなと。
――そこまでお二人を惹きつけた上田の魅力とは、改めて言葉にするとどういうところでしょうか?
豊島 最初に訪ねたのは、ちょうどコロナ禍が少し落ち着いてきた頃だったんです。コロナ禍では、文化芸術は「不要不急」みたいな立場に置かれて、苦しい気持ちになることも多かったんですけど、上田に行ってみると、文化施設が少し困り事を抱えている方だったり、町の様々な方の居場所作りをしていました。それも1箇所だけでなく、草の根的に生まれた施設が連携して活動していたんです。
うまく言えないんですけど、人が生きていく上で必要不可欠な何か、他者を想像することに繋がるような何かが、文化芸術にはあると私は思っています。そういったものと社会福祉的なものは、重なり合う部分もあるんじゃないかと感覚的に思っていたのですが、上田はそれを具体的に実践している町だったんです。それを知って私自身が救われたし、「こういう町があることが希望だな」と感じました。
加藤 私も同じです。文化芸術をやっている団体や場所が、福祉と連携していろんな活動をやっているんです。例えば「学校に行きづらいんだったら、映画館に来たらいいじゃない」というような発想だったり。コロナ禍で「パレードをする」という活動もありました。人が集まるのはやめましょう、となっていた時に、「集まれないんだったら、こちらから開けばいい」と、パレードを行っている。すごく面白いなと思いました。

