まるで駄々をこねる子ども
そこまで被告人を評価し、言及したあとだった。
小川裁判長は机上の判決文から目を上げ、被告人と、彼をサポートする刑務官に向かって言った。
「それでは、主文を言い渡しますから、被告人を正面に立たせてください」
もはや主文の中味は誰もが知るところだった。
ところが被告人は、立ち上がる素振りさえみせない。
「被告人は、そこに立ちなさい」
小川裁判長が言った。
しかし、被告人は椅子の上にじっと固まったまま、無視している。
全身の緊張の具合から、それが彼の意思表示なのだと察した刑務官が、直ぐさま彼の腕に手をやった。これを振り払うようにした被告人に、今度は両脇から腕を掴み、立たせようとする刑務官。ところが、教祖はこれにあくまで抵抗する。お尻に力を入れ、身体をくの字にしてまで椅子にしがみついていようとする。いやだ! 主文なんて聞きたくない! 現実なんて受け入れたくない! まるで駄々をこねる子どもだった。
すぐに、十数人の刑務官が一斉に被告人に取り付き、両腕を引っ張って立たせようとする。
さすがに、これには抵抗しきれなくなって、力を込めて腰を引いたくの字からの反動で、前にのめり出すように引き立たされる。それでも両足を前に踏ん張るようにして、証言台の前に移動することに対抗する。
「はい、じゃ、被告人はちゃんとそこに立ちなさい」
小川裁判長がもう一度言った。
これに抗う教祖。
いやだ! そこには行きたくない! 言わせなきゃ済むんだ! とばかりの幼稚な発想が透けて見える。
日本を支配しようとした男の末路
こんなに精一杯の抵抗を示したのは、はじめてだった。いつもは、刑務官の指図になすがままに従っていたはずだった。
なんのことはない。この男、現実をちゃんと把握できていたのだ。
それで、こんなに嫌がってみせるのだ。
これが、死をも超越したと自負する最終解脱者の正体だった。
日本を支配しようとした男の末路だった。
あからさまな感情表現に、芸達者の側面も色褪せて消えていく。
死刑を怖がる男の本性を、むき出しにしていた。
それでも、多勢に無勢、刑務官に取り囲まれ、瞬く間に証言台の前に引きずり出される。
一瞬の抵抗も虚しく、さすがに被告人も観念したのか、証言台の前に自分がいることを察知すると、身体の力を抜き、呆然とそこに立ち尽くした。
「はい、じゃ、下がってください」
小川裁判長は、被告人を取り囲んで注視していた刑務官たちに言った。その指示に、刑務官たちが所定の位置に下がって着席する。そのとき、刑務官のリーダー的存在のひとりが、もみくちゃになって乱れていた被告人のトレーナーの裾を引っ張って、服装を整えてやった。
あれが教祖を見た最後となった
それを確認した裁判長は、法廷が落ち着くように一呼吸おいてから、静かに言った。
「主文。被告人を、死刑に処す」
被告人は、左側正面に顔を背けるようにして、ぼうっと立ったまま動かなかった。
「この判決に不服のある場合は、今日を含めて15日以内に高等裁判所に申し出てください。はい、じゃ、終わりました」
こうして裁判は終了したのだった。
その後、被告人は控訴したものの、東京高裁の再三の請求にもかかわらず、控訴審から就いた弁護人が期日までに控訴趣意書を提出しなかったことから、そのまま控訴は棄却。一度も公判が開かれることなく、麻原彰晃の死刑が確定した。
だから、あれが教祖を見た最後となった。
あからさまに死刑を怖がって、逃げようとする男の不様な姿を見たのも、あの時だけだった。