芥川龍之介も、菊池寛の頼みはなぜか断らなかった
『文豪、社長になる』を読むとよくわかるんですが、菊池寛は仲間に恵まれているんです。
それは結局、彼が圧倒的に“人間くさい男だったから”に尽きるんじゃないかと思います。本人はなんでも面白がっちゃうし、人間というものが好きだから、お節介も焼くし、子どもみたいに騙されたりもする。勝負事も大好きで、社には常に将棋盤と卓球台もあったって。新しいことを考えるのは彼にとってお山の大将が次の遊びを言い出すのと同じだったんでしょう。
結局、誰に遠慮することなく好き放題生きているから、自然とみんな巻き込まれてしまうんですね。
何しろあの芥川龍之介だって、菊池寛の頼みはなぜか断らなかった。芥川龍之介と菊池寛の関係って面白いんですよ。それが知れたのも、この本を読んでよかったことのひとつかな。許し合える親友。べったり一緒というんじゃなくて、性格も作家としてのスタイルも真逆。だからこそ、惹かれ合っていたのかなと思います。ふたりは旧制一高の同級生として出会ったときから対照的で、片や東京生まれの洗練された都会人、片や高松から出てきた地方出身者。才能もね、一緒に同人誌なんぞもやるわけだけど、芥川は早々に夏目漱石に認められて文壇デビュー。菊池は鳴かず飛ばずで記者やって。だけど、芥川は何くれとなく菊池の世話をして、菊池の転機になった新聞連載も、『中央公論』への寄稿も、全部芥川の縁で実現してる。
でもここが菊池寛たる所以で、待ち焦がれた『中央公論』からの依頼にですよ? 誰だって足が震えるような大一番で、こう考えた。
「自分は“無名”の作家である。これを使わない手はない」。それも「“有名”な芥川を題材にすれば、きっと読者にウケる」と。あざといけれど、天晴れな企画です。
そうして彼の代表作のひとつ「無名作家の日記」が生まれるわけですが、当時の文学者で「ウケ」を重視するひとなんていたんでしょうか。川端康成が「『伊豆の踊子』、これ書いたらウケるかな?」なんて考えたとは思えない。普通はそういう時こそ、独りよがりなものに走っちゃう。温め続けてきた「俺の最高の構想」を知らしめずにはいられないですからね。
菊池寛は“大衆とともにある”という、それをやり切ったひとなんだと思います。「文学とは何か」なんて論じながら、一方で大衆小説の極みである『真珠夫人』が大ヒットしたら、めちゃくちゃ喜ぶ。雑誌「文藝春秋」がどんどん売れていく様にも気持ちの昂りを隠さない。
やっぱり文学青年だったら、たとえば僕らの世代だったら群像新人文学賞とか文學界新人賞とかでデビューして、かっこよく純文学やりたいと思っちゃうんですよ。だけど、菊池寛はかっこよくやろうとしない。主導権を読者に預けられる。そこが素晴らしいし、共感するし、僕はそこが好きなんです。
だって自分の名前ですら、本来は「キクチヒロシ」なのに「みんながカンって呼ぶならそれもいいかな」とあっさり変えてしまう。僕もよく「アキモトコウ」なんて呼ばれるんですが、そんなにあっさり名義替えできませんからね(笑)。そこにも彼の大衆性といいますか、直観を大切にするんだなぁと思います。
