「大衆」との闘い
この本の二篇目に、直木三十五をフォーカスした「貧乏神」という話が収録されているんですが、僕はそこでの菊池と直木のやりとりがすごく好きでした。
「文藝春秋」が創刊されて以来、雑誌が出るたびに直木三十五がきわどい文壇ゴシップを書くんです。書かれた作家は当然怒るし、下品なことをするなと周囲からも非難囂々。さすがの菊池寛も直木を止めるのかなと思ったところで菊池は言うんですね。
「君の書くものは痛しかゆしだ。雑誌の品位のためにはやめてほしいが、売り上げのためにはつづけてほしい」
そう、低俗なのは百も承知。でも、読者が読みたいのは、ウケているのはゴシップなんだ――。そのことをちゃんと受け止めているんです。高尚な文学者としての心と、読者=大衆が望んでいるものは何か? ということを冷静に見極める経営者の目。そのふたつを持ち続けられたひとなんでしょうね。
大衆心理って、本当に難しい。特に、菊池寛の生きた時代は戦前から戦後にかけて、世相というものが強烈に存在感を放っていた時代です。自由闊達で鳴らした文藝春秋社内の雰囲気も戦争を巡って二分され、さしもの菊池寛も参ってしまう。本の中にこんな一節があります。
いまや晴里(*社員の名前。軍国派)のうしろには世間という絶対の味方、文字どおり百万の味方がついているのだ。おそらく歴史上のどんな暴君よりも感情的で、短絡的で、支配力が強く、あんまり強すぎるので大衆自身の言論さえも圧殺してしまう自家中毒の独裁者が。
まさに、どんな暴君よりも支配力があるもの、それが大衆なんですよ。
戦時中のエピソードにもすごく菊池寛らしいものがあって。昭和十三年の芥川賞の選考会で、菊池寛は火野葦平が書いた「糞尿譚」を推した。晴れて受賞となって調べたら、筆者の火野は杭州に出征中だという。日頃、軍国主義を毛嫌いしている菊池だけど、「出征中か、それはいい。“戦地もの”は読者が喜ぶ」と声を弾ませ、贈呈式は現地でやろう、誌面で派手に報告しようと舌なめずりをする。
それでも、社長が自ら行けば、社をあげて戦争を賛美していると誤解もされる。だから「小林秀雄君が上海に行くと言ってたな。足を延ばして寄ってもらおう」なんて、リスクヘッジもちゃんとする。チャッカリしていると言うか、したたかと言うか……。
でも軍のほうもそれに味をしめたのか、その後、菊池寛を呼び出して、文士従軍の音頭を取ってくれと打診してくるんですね。「ペン部隊」と呼ばれるその試みは実現して、菊池自身も戦地に行くことになってしまうのだけれど、それでも反骨精神は決して忘れないぞと、従軍中は笑わない。戦争に加担したくないという意思を仏頂面で示すんだと彼は言うわけです。
なんだそれはと思うけれど、その子どもじみたところが結局、菊池寛の愛嬌であり、信念でもある。芥川をはじめ、一癖も二癖もある奴らがそろって菊池寛に惹かれていたのも、きっとそんな人間味っていうのかな、ひととしての魅力なんじゃないかと僕は思います。
それは作家だけじゃなくて、佐佐木茂索とか池島信平(*ともに後の文藝春秋社長)とか、良きブレーンや仲間となった面々も、そういう人間だからこそ付いていこうと思ったんでしょうね。
