「この給料でどうやって生きていこう?」新人タクシードライバー時代の厳しい給料事情

――社員だとアルバイトよりも待遇がいいので、経済的にもホッとできたのでは。

中島 安心できたんですけど、歩合なので。タクシーって、新人のころは売り上げがあげられないんですよ。どこに行ったらお客さまを拾いやすいとかわからないですし、道を知らなかったりして危なっかしいから、半年ぐらいは配車アプリを使わせてもらえないんです。

 なので、自力で自社の無線を拾うか、手挙げの人を拾うかしかなくて。自力だけだと、お客さまを拾うのはまずなかなか難しいんですよ。はじめの半年は、「この給料でどうやって生きていこう?」って思いましたね。

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――給料、どれくらいでした。

中島 15万円くらい。当時は、コールセンターを辞めないほうが良かったかなと軽く後悔しました(笑)。ライブ配信をやっていたので、なんとか食いつなぐことができていましたけど。

――新人の頃は、どのあたりを流していたのですか?

中島 会社のそばの千川通りを。無線も鳴るし、意外と手挙げのお客さまも多いよって、会社で教えてもらったので、千川通りばっかり往復してました(笑)。まっすぐな道なのも助かりましたね。

「エッ、違ったんだ」待機中にほかのドライバーからいきなり怒られたことも…

――どれくらいで慣れましたか。

中島 半年を過ぎたあたりで、タクシーという仕事はこういうものだと理解できましたけど、慣れることはなかなかできませんでしたね。

 1年経っても覚えなきゃいけない道がいっぱいあるから、「けっこうできるようになった」とは思えなかったです。いま4年目ですけど、ようやく道も覚えることができて、「慣れてきたな」って。

――ここにいたるまで、失敗もあったわけですよね。

中島 大きめの駅だと、タクシーが待機するタクシープールがあるじゃないですか。駅によってルールが違っていることがあって、なにも知らずに並んでいて、ほかのドライバーから怒られたりしましたね。

 優しいおじさんのドライバーだと「並ぶのここじゃないよ」って教えてくれるんだけど、そうじゃないドライバーだといきなり怒られたりしちゃうんで。「エッ、違ったんだ」とかいって、現場で学んでいきましたね。

 

――いまはお給料も安定を。

中島 Uberタクシーが導入されてから、かなりラクになりました。それまでは、なかなか配車の依頼もなかったからきつかったですね。自分のがんばり次第で稼げるようにはなったので、あとは体力次第です。

――チップ的なものをもらうことは。

中島 あります。お年寄りの方が多いですね。午前中に、おじいちゃん、おばあちゃんを病院にお送りすることが多いんですけど、「これで、ジュースでも飲んで」なんて言って渡してくれることがありますね。申し訳ないですから「いえいえ、お気持ちだけで」と言うんですけど「いいから、いいから」と。ほんと、ありがたいですよね。