マイナーコードの戦意高揚歌
間もなく、父の背広は国民服に切り替わった。戦闘帽を被り、編上靴を履いて登校するようになった。食糧が配給になると、隣組の組長が権力を振るった。かつて、モボ、モガと呼ばれた人たちは、兵士の武運長久を祈る千人針を持って街頭に立つようになる。
〽国を出てから
幾月ぞ
ともに死ぬ気で
この馬と
(『愛馬進軍歌』詞:久保井信夫 曲:新城正一)
日本競馬会が呼びかけ、陸軍のバックアップで『愛馬行進曲(愛馬進軍歌)』の歌詞を全国から募集したことがあった。軍官民一体の一大キャンペーンだ。宝塚歌劇でも上演されていた。当時、このキャンペーンを担当したのが、後に硫黄島の戦いで名を上げた栗林忠道中将だった。『愛馬行進曲』は日本人の心にぴったりとはまるメロディで、誰もが愛唱した。『暁に祈る』も歌っていて心から感動したし、「見よ落下傘 空を征く」という高木東六さんの『空の神兵』も、本当にいい歌だった。
軍歌といっても、つまりは戦争歌謡曲なのだ。「万朶(ばんだ)の桜か襟の色」のような明治大正時代の行軍歌とは異なる、新しい国民歌謡の登場だった。古関裕而、高村光太郎、西条八十や北原白秋をはじめ、才能に溢れる超一流の作曲家、作詞家が腕を揮い、名歌秀曲を生み出した。「民心を鼓舞して国難を切り抜ける」。商売目的だけではない、そんな必死の思いが滲んでいたからこそ、軍歌には名歌が揃ったのだろう。マスコミはそれらの歌を広めて、国民を戦争へとリードしていった。
いいニュースでも悪いニュースでも、出征兵士を見送る時も、遺骨を受け取る時も、あらゆる時に歌が歌われた。「若い血潮の 予科練の 七つボタンは 桜に錨」という『予科練の歌(若鷲の歌)』には最初、メジャー(長調)とマイナー(短調)、二通りのメロディが付けられたと聞く。海軍の予科練の生徒たちの前で演奏してみせると、圧倒的にマイナーコードの方が人気だったらしい。マイナーコードの軍歌というのは世界中にたくさんあって、戦争へ向かう自己犠牲を美化する動きがあった。悲壮な戦争歌謡は、日本人の心を震わせた。歌が果たした戦意高揚、国民意識の統一効果は、計り知れないほど大きかったと思う。(談、構成・編集部)
五木寛之氏の記事全文(7000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています。全文では、以下の内容が語られています。
・昭和のとんでもない遺産
・私と父を見つめる母の眼
・結局は、人間個人の問題だ
・親鸞、蓮如への共感
・そしてまた戦争をする
出典元
【文藝春秋 目次】永久保存版 戦後80周年記念大特集 戦後80年の偉大なる変人才人/総力取材 長嶋茂雄33人の証言 原辰徳、森祇晶、青山祐子ほか
2025年8月号
2025年7月9日 発売
1700円(税込)
