1999年と2013年の過去2回にわたり「文藝春秋」に掲載された読者投稿企画「うらやましい死に方」――肉親、友人、知人など身近な人が亡くなる際の、心に残るエピソードの読者投稿を募ったところ、各回数百通以上の投稿が寄せられ、大きな反響を呼びました。

 選考にあたった五木さんは一通一通を、夜を徹して読み、「文章の巧拙を言えば、必ずしも洗練された投稿ばかりではありませんでしたが、かえってそれが胸に迫り、恥ずかしながら鼻水と涙でぐしゃぐしゃになりながら読んだものでした」と振り返っています。

五木寛之氏

「文藝春秋」10月号掲載の「2022年のうらやましい死に方」の中で、五木さんは次のように書いています。

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〈かつては『死とは何か』『生きるとは何か』などと重々しい形而上学的かつ思想的な問題として扱われていたのが、今は死がもっと現実的で実利的な問題として考えられるようになった。週刊誌の新聞広告を見ていると、『死後の相続はどうすべきか』『上手な終活のやり方』などノウハウを解説した謳い文句が溢れかえっています。以前、永六輔さんが書いた『大往生』というベストセラーがありましたが、あのように死を正面から論じる本は長らく見なくなりました。人生の締め括りをカジュアルに受け止める、もっと身も蓋もない言い方をしてしまえば、肉親の死でさえ『コスパ』で考える風潮が高まっているように感じられる〉

デジタルな死

 2022年は、新型コロナの感染拡大、ウクライナ戦争の勃発、そして安倍元首相の暗殺事件にいたるまで、次から次へと未曽有の事態に直面した年でした。

 五木さんは「この2022年ほど多難だった年はかつて経験がなく、数百年に一度の天下変動に直面しているような実感がある」と書いています。

 そんな激動の時代に、日本人は一体どんな死に方をうらやましいと考えているのか。五木さんは読者の皆さんに次のようなメッセージを投げかけています。