作家の五木寛之さんは、「過酷な引き揚げ」の記憶に長い間苦しんできました。青春時代も、作家として人気を獲得した後も、心底たのしむことができなかったと言います。

 そんな五木さんを救ったのは、30歳過ぎに偶然出会った親鸞のことばでした。五木さんの新刊『私の親鸞 孤独に寄りそうひと』(新潮選書)から、一部を抜粋し紹介します。(全2回の1回目/後編を読む)

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語りたくない記憶

 戦争の記憶と同時に、引き揚げというのも民族の大きな歴史です。

 若い頃、何とか後世に記憶を残さなければならないと思い、旧満州で最も苦労されたであろう開拓者が多く出た信州やその他の地方に、録音機を担いで何度か取材に行ったことがありました。

 しかし、そういう引き揚げ者のかたがたに、「大変なご苦労があったそうですが──」と話を向けても、特に悲惨な体験をしたにちがいない人ほど、「ええ、それはもう、色々とございました。でもおかげさまで、今はこうして暮らしておりますので」とかすかに微笑むばかりで、ほとんど何も話してくださらないのです。

 逆に、すごく饒舌に当時の悲劇をお話しになる方もいますが、そういう話は意外と当てになりません。他人の体験と自分の体験がごちゃ混ぜになっていて、繰り返し何度も人に話しているうちに、起承転結のよくできた物語になってしまっているんですね。

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幼い妹と弟を養いながら引き揚げの日々

 雄弁に語ってくれる方の話は信頼度が低く、本当に大変だったはずだと目星をつけた方はほとんど話してくださらない。結局、その計画は諦めざるを得ませんでした。

 考えてみると、それは私も同じなんです。敗戦の翌月、混乱の中で母親が亡くなり、その後は長男として、幼い妹と弟を養いながら引き揚げの日々を過ごしたわけですが、その間にあったことは小説にも書いていません。

 一度だけ、母親のことをエッセイに書きましたが、「大変だったんですね」と水を向けられても、「いや、もう色んなことがありまして」と返すぐらいで、自分のほうから語りたくはないのです。