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 そのころ、日本人の子どもというのはとても評判がよくて、植民者として敵視されながら、現地の人たちはどういうわけか、日本人の子どもを欲しがりました。

 食べていくために闇市のようなところで色々物を売り買いしていると、「日本人の子どもを売りたい人はいないか」と相談を受けることがありました。子どもをゆずりたい、という母親がいると、ある程度のお金や食糧などを用意してもらい、話がまとまったら、子どもが受け渡されるんですね。

 これは昔の「女衒(ぜげん)」のような行いで、最も卑しむべき、人間のするべきことではありません。

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「許されざる者」としての自分

 しかし、内地と言いますか、この日本列島に引き揚げてきて普通の生活に戻ると、その当時のことはもう現実とは思えないのです。あれは夢だったのか、幻だったのか。自分は本当にそんなことをしたんだろうか。あの出来事は本当にあったんだろうか……そういう何とも言えない気持ちになるのです。

 それを自分の心の裡にしまって鍵を掛けるんですが、鍵を掛けたところで、やっぱり記憶というものは残ります。

 私は中学生の時に引き揚げてきて、中学から高校生だったころは『青い山脈』のような青春映画が華やかな時代でした。でも、正直言って、自分の心が本当に晴れ晴れしたという青春期の記憶が一度もないのです。

 どんなに愉快なこと、楽しいことをしていても、心の中のどこかに一点、曇りのようなものがある。自分は許されざる者なのだ、そういうバイアスが曇りガラスのように常に心の上にかかっていて、何をしていても心底たのしむことができませんでした。

悪を抱いて生きる

 自分は人間として許されざる者である──心の中にひそかにそういう思いを抱きながら、20代を過ごし、やがて30歳を過ぎた頃、偶然に親鸞の考え方や教えに触れることになります。そのときはごく単純なものでした。いかなる人といえども、どんなに深い罪を抱いていても救われる。あるいはまた、人間というのは全て悪を抱いた存在である。いわゆる悪人正機といわれる考え方ですね。