「赤線」。管理売春である公娼制度が廃止された戦後の1946年から売春防止法が施行される58年までの12年間、日本各地に点在した売春を目的とする特殊飲食店街をそう呼ぶ。

 カフェーやキャバレーなどの看板をかかげた店では公然と売春が行われ、政府も必要悪としてそれを黙認した。「警察が地図上に赤い線で囲った地域」という一つの通説とともにたびたび触れられる赤線だが、往時の詳しい状況はあまり知られていない。

「カストリ書房」で所蔵している資料 ©文藝春秋

「戦後のわずか12年間で幻のように消えていった存在ですが、全国には約1700箇所もの赤線があったといいます。外観もそれ以前の遊廓の木造で古めかしい感じからネオンの派手派手しいものに変わっていった。戦後の開放的なムードもあって、あえて選択的にその商売を選んでいる女性もいたといいますし、よりどりみどり的にセックスできる空間だという退廃的な気風はあったと思います」

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 そう話すのは日本を代表するソープランド街、東京・吉原で遊廓専門書店「カストリ書房」を営む渡辺豪さん(43)だ。

 遊廓関連本の復刻などを行う出版社「カストリ出版」の代表で、「遊廓家」を名乗る渡辺さんは11月、赤線が存在した当時に書かれた作品を中心にして編んだ異色のアンソロジー「赤線本」(イースト・プレス)を刊行した。

©文藝春秋

 渡辺さんへのインタビューから、資料も少なく、厚いベールに包まれているこの赤線の実情がうっすらと見えてきた。(全2回の前編/後編を読む)

実際に赤線を経験した作家は何を書いていたか

〈「赤線本」に収められているのは、永井荷風や井伏鱒二、吉行淳之介といった文豪の作品だけではない。日本を代表する映画俳優の高倉健、多くのヒット曲を生み出した小林亜星といった戦後の芸能史を彩ってきた才人たちの、若かりし日の飾らない体験談も紹介されている。そして、赤線で体を張っていた女性たちの意外な本音も……〉

――赤線跡の現在の街並みを収めた写真集などはよく見かけますが、アンソロジーというのは珍しい気がします。どんな狙いがあったのでしょう。

渡辺豪氏 ©文藝春秋

渡辺 ここ10年くらい遊廓や赤線跡の取材をしていてわかったのは「フィールドワークをするにはもう遅すぎる」ということです。当時を本当に知っている世代の人は90歳を超えているし、建物もどんどんなくなっている。とりわけ東日本には少ない。そんな小さな母数の中から抽出して「赤線はこういう場所でした」と代表的な声にしてしまうのは乱暴だと思うのです。多くの人がイメージする赤線の様子って永井荷風の「濹東綺譚」だったり、溝口健二監督の映画「赤線地帯」だったりして、たとえばキャバレー調でドレスを着て……というふうに、記憶やイメージがどんどん画一化されてしまっている。それは、赤線についてのコンテンツの流通量とバリエーションが乏しいせいでもあります。