娼婦として働いていた女性の生の感情も
〈1958年の売春防止法施行によって赤線は、その短い歴史の幕をおろす。ただ、売春自体は「トルコ風呂」などに形を変えて続けられていく。川崎長太郎との対談「灯火は消えても」(1961年)で作家の吉行淳之介は「トルコ風呂なんというのは一番下賎なものですネ、あれはネ、要するにマスターベーションの設備でしょう。一方的なものですよ。無礼だとしか思えんナ。向うは着衣でいてネ、失礼ですよ」と語っている。そんなふうに、赤線の風情を懐かしむ男性たちの声がこの本には多く収められている。一方で、娼婦として働いていた女性の側の生の感情を伝える貴重な言葉も掲載されている〉
――「京一 路子」の名で書かれた東京・吉原で働いていた女性が書いた詩も目をひきます。売春防止法制定に力を注ぐ女性議員は娼婦たちを前にして、〈みなさんは若くてお美しい/心の中まで汚さずがんばつてね〉と熱弁を振るう。でも当の女性たちは〈みんなうつむいてしまつた/私たちは ちつともお美しくなんかない/心が汚れるつてどういうことかしら〉という複雑な思いでいる。当事者たちの間でも、さまざまな見方、感情が渦巻いていたことがわかります。
渡辺 ここ10年弱くらいで、いわゆるジェンダーとかセクシュアリティーに対する考え方がものすごく変わってきたと思うんですね。今までの売春をめぐる類書はどうしても男視点で、「昔は風情があった」「悲しい生い立ちを背負った女性が……」みたいなロマンがあったけれど、そういうものを今若い人は求めていないと思うんです。
当時赤線だった吉原には娼婦たち、いわゆるセックスワーカーの労働組合があって、性病予防の薬を共同購入したり、娼家との団体交渉を行ったり、と先進的な取り組みをしていたんですね。彼女たちは「婦人新風」という機関誌も発行していて、そこには文化欄があって売春防止法に反対するオピニオンや詩、エッセーも掲載されていた。
この「京一 路子」による詩はそこに掲載された作品です。女性議員が「売春をなくしましょう」と訴えても、当人たちの方には手を差し伸べられているような感覚が全くない。むしろ鼻白んでいる感じが伝わってくる。ジェンダーの問題となると「男対女」という対立軸で考えがちですけど、実は「女対女」という側面もあったことがわかります。