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2021/01/03

 赤線に関して鮮度が高くて、より心に迫ってくるのは、新刊本ではない。むしろ当時を経験している人の昔の言葉なんですよ。だから実際に赤線を経験し、かつそのころ発表された作品を中心に収録作を選びました。

 ひとくちに赤線と言っても、いろんなバリエーションがあります。この本に収めたなかでも、吉行淳之介さんが新宿二丁目の娼婦を描いた芥川賞受賞作「驟雨」のような都市のなかの赤線もあれば、川崎長太郎さんの「抹香町」で描かれている小田原のような地方都市の赤線もある。さらには地方でも、井伏鱒二さんが書いた「消えたオチヨロ船」のような瀬戸内海での船上売春のような形態もあります。バラエティーを増やし、もう一回赤線の原点に立ち返れたらなと思ったんです。

©文藝春秋

〈絶版となった作品や、単行本や全集には未収録だった文章がずらりと並ぶ。作家の五木寛之さんが戦中派ならぬ“線中派”の感慨として、東京・北千住の赤線での思い出をつづった「赤線の街のニンフたち」は1967年の発表。語り手の「私」と一夜を過ごした女が翌朝、「私」の自転車のタイヤに空気を入れてくれてから、「固くなった」と言って照れまじりに喜ぶ表情を乾いた筆致で活写している〉

コンビニ並み、3万7000件あった「娼家」

〈一方、日本を代表する映画俳優である高倉健さんも2006年、学生時代に訪れた新小岩の赤線・東京パレスで出会った遊女の心意気を「赤いガラス玉」という題でつづっている。「あの雪の夜のあのお姉さんのことは、今でも突然、ふっと心の中に過ります。今頃どうしてらっしゃるのかなあとか、そんなことも考えることがあります」「あの時のお姉さん、まだお元気だったら、どうかお幸せでいらしてください」と〉

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――書き手にも作品にも意外性があります。

渡辺 有名な作家さんでも対談や紀行文は意外と全集のなかにあまり入っていない。ましてや俳優や歌手の方のものは残りづらいですよね。

 高倉健さんのエッセーは明治大学にいたときの思い出をラジオ番組で朗読したもので、収録作のなかでは一番新しい。不器用で実直で品行方正。男らしくて格好いい「ザ・銀幕のスター」。こういう人たちも赤線の作品を残していた。それは裏をかえせば、それだけ当時生きていた人たちにとって赤線が当たり前で、普遍的な存在だったということです。

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 決して新進気鋭のクリエーターが世の中の局所的なものを切り取る、という感じではなかった。実際、売春防止法が施行される以前、全国にあった娼家は約3万7000軒に上ります。当時の人口10万人あたり、約41軒あった計算になります。これは今のコンビニ店舗の密度である10万人あたり44軒とほぼ同じ数字。だから、数の上では「コンビニ感覚」だったといって差し支えないのです。

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