「『解散ではなく、休止という形にしたら』と提案したのは私です」
2019年1月の活動休止会見の後半で、当初はグループを辞めたいと伝えていた気持ちが活動休止に心変わりした経緯を記者が大野さんに尋ね、彼はこう答えていました。
「『お休みでもいいんじゃない?』って言葉(提案)が入ってきたなかで、『あ、そういう形でもよろしいんですか?』というか、その言葉に甘えたというか。そこで着地しましたね、最終的には」
大野さんは、「ケジメとしてジャニーズ事務所を辞めることだろうと、自分のなかで思っていた」とも話し、一人で葛藤していた時期があったことがわかりますが、注目したいのは「お休みでもいいんじゃない?」と提案した人物。これまで活動休止を誰が提案したかは明言されていませんでしたが、本書でジュリー氏は次のように語っているのです。
〈最終的に『解散ではなく、休止という形にしたら』と提案したのは私です。〉
メンバーたちは5人でなければ「嵐」ではないという考えが強いため、大野さんのグループ脱退はイコール“グループ終了”を意味していたようですが、大野さんを踏みとどまらせた活動休止案はジュリー氏が投げかけたものだったということが本書で明かされたのです。
「嵐」の活動終了を受けての追加インタビューでは…
ちなみに本書のジュリー氏への取材は昨年12月に一旦終了しているのですが、今年5月6日に「嵐」が活動終了を発表したため、本書の最後に〈追記――『嵐』活動終了の発表を受けて〉という急遽差し込まれたであろう4ページの追加インタビューが載っています。ここではジュリー氏の視点での、ジュリー氏と「嵐」メンバーの現在の関係性がわかる内容が語られているのです。
「TOKIO」解散については、ジュリー氏はどう受け止めているのでしょうか。そして来年春の「嵐」活動終了時に彼女は何を思うのでしょうか。
日本の芸能史に強い光と暗い影を残した旧ジャニーズ事務所の創業家が、注目を集めるのは必然のことなのかもしれません。

