自らのミスで、奨学金を打ち切られたことも

――とはいえ、実家から通うのと違って生活費がかかってしまいますよね。

岩切 実家の宮崎からは遠かったんですけど、浪人はできなくて……。入学金・学費・新潟での1人暮らしの生活費を含め、総額500万円ほどは奨学金でまかなっています。

――大学生活では、自身の特性で困ったことはありますか?

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岩切 困ったことというよりは自分のミスなんですが、僕が借りていた貸与型の奨学金は、毎年申請が必要でした。実はその申請を後回しにしてしまい、3年生の時に打ち切られてしまいました。

 とはいえ実家を頼るわけにもいきませんし、何とか調べまくって、新潟市の奨学金制度を見つけて、申請しました。他にも、いつもスケジュールギリギリでやりくりしていたので、卒論も提出当日に印刷予定で……そこでコピー機が壊れて卒業論文の締め切りにギリギリ間に合わず、教授に泣きついたこともあります。 

――岩切さんが卒業した頃、就活は大変でしたか?

岩切 僕が就活をしたのは、2008年9月に起きたリーマン・ショックの前年だったので、内定は取れました。当時は今ほど就活対策みたいな書籍もなかったんですが、僕は面接対策に「マインドマップ」みたいなものを作って、この会社だったらどんなことを求めているか、などをしっかり分析して臨んだのも良かったんだと思います。ある種、ゲーム感覚で楽しみながら面接を受けていました。

 

就職先は「超ブラック」で毎日泣いていた

――就職先はどんな会社だったんですか?

岩切 中小企業の財務をコンサルティングする会社です。家族の会社が倒産した経験もありましたし、中小企業の資金繰りに携わってみたいなと。営業職での採用でした。

――入社した会社では苦労はありましたか?

岩切 今振り返ると、超ブラックな会社だったなと。朝早くに出社して、帰りは終電に飛び乗ってました。土日も同じです。入社してすぐ、経営者を目の前にして2時間ほど講演できるようになれと毎日すごいプレッシャーの中で働いていて。家に帰って毎日泣いていましたね。

 初任給はある程度高かったのですが、お金の使い道も、使い方も分からなくてとりあえず毎日3食全て外食にしていました。ストレスもあって、過食でこの時期かなり太っていましたね。

 仕事とは直接関係ないですが、自分の不注意から、よく交通事故を起こしてしまって営業車に乗ることも禁止されていました。