「成績が悪いのは、女のケツばっかり追い回しているからだ」と言われ……
――営業成績は良かったんですか?
岩切 2年目までは本当に悪かったです。もう本当に仕事ができなくて、上司からは常に「名古屋に飛ばすぞ」と脅されたりもしていて。当時、名古屋は配属された新人が全員つぶれてしまうほど、ハードな支店だったんです。
書類の不備などのミスも多かったからか、職場のお局のような方から「女のケツを追っかけまわしてるからだ」とメールで言われたこともありました。とにかくストレスがすごかったので、24歳の時に転職活動をしてみました。
それでリクルートから内定をもらったんですよ。でも、ビジネス塾で知り合った人から「24歳のあなたの今は、人生の集大成の時期だよ。『いろんな人に感謝している』と言ってたけど、本当にそれができているのかな」と言われて。確かに、まだできることをしっかりやり切れていないなと思って、結果が出るまで頑張ろうと会社に留まりました。
――残った後、営業成績はどうでしたか。
岩切 入社3年目の25歳で、営業成績がトップになりました。東日本大震災の影響で異動があったのも大きかったなと思います。「岩切=できない」というイメージがない新しい部署で心機一転仕事ができましたから。
そこから継続して結果を出したことで、外資系生命保険会社に勤めていた大学時代の先輩からヘッドハンティングされ、25歳の時に転職しました。FPの資格を取ったのもこの会社で働いていたときで、入社してから3年くらいたったタイミングで取得しています。
「あいつは頭がおかしいから」と言われたことも
――2社目での仕事はいかがでしたか?
岩切 アポイントメントの時間を忘れてしまって、よく怒られましたね。ある時、ミーティングの時間を間違って激しく叱責されたことをきっかけに、会社にいけなくなりました。会社にいると脂汗が止まらなくなったんです。
そこで、病院に行くと適応障害と診断され、出社を制限することになりました。そんな折、上司から「テレビを見ていたら、お前にそっくりな人が出ていて、ADHDと言うらしい。一回診てもらったらいいかも」と連絡がありました。
そこで「もしかして」と思って検査したら、ADHDと診断されました。
――診断が下った時はどんな気持ちでしたか?
岩切 「だよね! スッキリした!」と思いました。自分がこれまでできなかったこと、苦手だったことを受け入れられたというか。今までは無理に何とかしようと思っていたんですけど、その時からできないことはできない、と割り切れるようになりました。
――ADHDの診断が出てから、差別されたことはありますか?
岩切 ありました。ある証券会社でセミナーをする予定があったのですが、その会社の上層部からストップがかかって中止になったことがあります。また、退職後に聞いたのですが、前職の外資系生命保険会社の同僚に「あいつは頭がおかしいから、そんなやつから保険に入らないほうがいい」と言いふらされていたことを知りました。
後編の記事では、岩切さんが過去に抱えた多額の借金の詳細や、それが元となり裁判所に呼び出しを受けた経験、さらに発達障害FPとして活動する中で感じていることについて聞いています。
写真=山元茂樹 /文藝春秋
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