「ADHDを言い訳にしたくはないですが、奨学金の督促で裁判所に呼ばれたことがありますし、家賃の延滞も毎月のようにしていました」
現在、発達障害者に特化したFP(ファイナンシャルプランナー)として活動する岩切健一郎さん。自身もADHD(注意欠如・多動症)当事者として、数百万円の借金歴をはじめ、いくつも「お金の失敗」を重ねた経験があると振り返る。
過去に父親が2億円ほどの負債の連帯保証人となって破産したこともあるといい、発達障害が理由となって職場で嫌な思いもしてきたという岩切さんは、どのように「お金の専門家」として活動するに至ったのか。(全2回の1回目/続きを読む)
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親類の会社が倒産、父は連帯保証人…裕福だった環境が一変
――岩切さんはどんな子どもだったんですか?
岩切健一郎さん(以下、岩切) 落ち着きがなく、うっかりやケアレスミスが多くて、特に算数は計算ミスで点数を落とすことが多かったです。忘れ物もよくしていました。3人きょうだいの長男なのですが、弟や妹を見ていて「みんなミスもしないですごいなあ」と思っていましたね。
――実家はどんな家庭でしたか?
岩切 母の家はもともと武士家系、父は商人家系で、いくつかビルを持っているなど比較的裕福だったと思います。だけど、ある日、その環境が一変しました。
小学校から帰ると、家族全員が雨戸を締め切って集まって、母方のおじいちゃんが家族の前で、「ごめんな」と泣いていたんです。
話を聞くと、母方のおじが、経営していたイベント会社を倒産させてしまったみたいで。 父が借金の連帯保証人になっていて、こんなことになったことをおじいちゃんは泣いて謝っていました。借金はトータル2億円くらいで、その後実家は競売にかけられました。
――その時はどんな気持ちでしたか?
岩切 実は相当ショックが強かったのか、当時の記憶はあいまいなんです……。覚えているのは、暗い家でみんなが泣いていたことくらいで。その日から、外食はほとんどなくなり、「ああ、節約してるんだなあ」と分かるような生活が始まりました。欲しいものがあっても気軽に「あれ買って」と言えなくなりましたね。
――そうした状況で、高校や大学へも進学されています。
岩切 高校進学に関しては、親は何も言いませんでした。県内の公立高校に進学して、大学は受験料が高い私立ではなく国公立を受験して、新潟大学に進学しました。

