「靴底にぐにゃとした感触がある。土まみれの内臓を踏んだらしい」――。1985年8月12日に起きた「日航123便墜落事故」。現場である群馬県御巣鷹山に足を踏み入れたジャーナリストの米田憲司氏が見た恐るべき光景とは? 新刊『日航123便事故 40年目の真実』(宝島社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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墜落現場に近づいていくと…
報道陣のヘリの音が大きく聞こえる。2、3機ぐらいの音がしている。自衛隊員の姿も目に入ってきた。幹部らしき自衛官が「この先は行かないほうがいいですよ。もっとひどいから」と忠告してくれた。が、そういうわけにはいかないので、「気を付けて。お先に失礼します」と述べた。尾根にたどり着いた。約5時間半かかっていた。6時間と考えていたので、迷わずに登れたようである。よく分からないが、何か現場に誘導されているような感じがしていた。
下方を見ると、東京の夢の島のような、尾根全体がゴミの集積場のようになっていた。車輪が逆さまになって転がっている。左主翼もちぎれたように横たわっている。窓枠もある。
そばで煙があちこちに出ている。機械油や鼻を突くような化学製品の臭い、木々が燃えた臭いがないまぜになっている。歩きだすと、少し水平になった場所に寝袋に入った死体がいくつも置かれてあった。自衛官と警察官が多く、広範囲だから報道陣はあまり見かけない。そこを通り、場所を移動しようと歩くと、全身が焼けた死体の左手が上を向いている。焼けた身体は小さくなっている。目も鼻の穴、口の形も窪んでいて分かる。そのそばで客室乗務員らしい紺地の制服の遺体がうつ伏せになっている。ショルダーバッグが落ちている。

