気心の知れた関係「だけ」を築こうとする
私が最初に観たのは学校や保育園、地域で「節分のイベント」をやり、子供たちを招待したときに、きょとんとし、呆然とする外国から来た児童の姿でした。まあ、鬼だ豆だ、鬼に豆をまくと邪な気が祓われて一年健康に暮らせるんだよと説明されても理解できないのは間違いないんですよね。「
ある日、外国人の保護者が保護者同士の連絡網でやるLINEから外されたとかで揉めてましたが、両方から話をよく聞くと子供の手持ちの弁当の中身が臭いだかでいじめられ、いじめられた親が抗議したところエスカレートしたという残念な事例で困惑するわけです。まあ、子供からするとちょっとした違いで排除したりいじめたりというのは日常茶飯事で、それを見ている保育士さんたちが宥めたり、話を聞いた両親が受け入れてあげるよう促したりするのが本筋だと思います。いい歳こいた大人が、気にいらないことが起きて「こいつら本当に
「日本の生活は楽しいけど寂しい」
言われてみれば、大人の世界でもこじれそうな人間関係で問題回避をする動きは強く出るようで、お付き合いの深いコンビニや飲食チェーンの集合研修でご一緒した際に「外国人研修生に対する日本人の距離感」というのは感じたわけですよ。懇親会では私も気の毒に思って一人で食事をしている外国人に積極的に話をしに行くんですが、ほぼ全員が日本に来て一年ぐらい日本語もまあまあ上手くなったのに日本人の友達がなかなかできないと残念がっていました。ベトナムやフィリピン、マレーシアあたりからの若い男女が多かったんですけど、彼らの言う「日本の生活は楽しいけど寂しい」っていう感想を聞くと申し訳ない気分になります。まあ、私が「