広島駅~中心地のアクセス改善の狙いがあった?
計画があった「広島市営地下鉄」は、概略を示すと次の通り。
・東西線(向洋駅~紙屋町駅~西広島駅:9駅・9.7キロ)
※国鉄山陽本線・呉線に直通
・鯉城(りじょう)線(矢賀駅~広島駅~平和大通り駅~横川駅:8駅・8.1キロ)
※国鉄芸備線・可部線に直通
計画の最大の特徴は「広島市中心部から郊外へ走る国鉄路線への乗り入れ」だ。東西線・向洋駅からは山陽本線を経由して呉線・広駅まで(27.8キロ)、鯉城線・横川駅から可部線・可部駅まで(14キロ)、矢賀駅から芸備線・下深川駅まで(12キロ)と、乗り入れ距離は地下鉄本体の17.8キロをはるかにしのぐ。
国鉄から地下鉄・私鉄への乗り入れは、現在でいうと東京メトロ・東西線とJR中央線、福岡市営地下鉄空港線とJR筑肥線など、そこまで珍しくない。ただ、乗り入れ距離が3方向の複数路線で、ここまで広範囲な直通を計画したのは、昔もいまも広島だけだろう。
今もそうだが、ターミナルである広島駅は若干街外れにあり、中心街から約2キロ離れている。郊外から市の中心部に向かうには、まず広島駅で路面電車などに乗り換え、そこから10分少々という移動が必要になる。地下鉄によって、この時間を短縮する狙いもあったとみられる。
地下鉄によって「路面電車」は大幅に減っていたかも?
市内の地下鉄区間は「路面電車の代替」としての役割もあった。
広島電鉄の路面電車は、1963年に軌道敷内への車両乗り入れが許可されたことで、クルマに行く手を阻まれるようになっていた。通常の路面電車なら時速10~15キロである平均速度が、広島では時速5キロと、驚異的な鈍足でしか動けなくなっていたのだ。
「車両が古い、時間通りに走らない、遅い」と三拍子そろってしまった路面電車を擁する広島電鉄は1966年に赤字へ転落、社内外で廃止がささやかれるような惨状が続いていた。それに対して地下鉄なら道路渋滞にも巻き込まれず、所要時間を圧倒的に短縮できる。
かつ、1両100人・8両編成の地下鉄なら数百人以上を数分おきに運べるため、1両単体で数十人しか運べない路面電車との輸送能力の差は、歴然としている。こうして、東西線とほぼ同ルートである広島電鉄本線などは、地下鉄に役目を譲ってほぼ廃止となる見込みであった。
地下鉄建設の対象から外された江波・宇品方面への路面電車のみ、経路を変えた上で存続することになっており、「平和大通り」なる新駅では、地下鉄と路面電車を地下の同一ホームで乗り換えできる計画図がある。実現すれば、全国で類を見ない「地下鉄・路面電車の共同駅」が誕生していたのだろう。


