「電車の葬式を出させない」路面電車の反撃が始まった

 無理筋すぎる計画の他、予想外の事態も生じた。「路面電車の急激なグレードアップ・進化」だ。

 広島電鉄の軌道線(路面電車)がもはや死に体であったのは、先に述べた通り。ここで、広島電鉄の新セクション「電車部門」の部長に奥窪央雄(おくくぼ・ひさお)という人物が着任し、廃止がささやかれる中で「電車の葬式を出す役なら断る」と広島電鉄に釘を刺したうえで、路面電車の存亡を賭けた改革を始めた。

原爆ドーム近辺を走る路面電車(筆者撮影)

「座席が破れたら自分たちで手縫い」「トイレの汲み取り作業も課長・係長が率先して行う」「バス部門が廃棄したネジを電車部品として再活用」——こうした倹約策を、奥窪氏を含めた管理職が率先して実行し、少しずつ赤字幅を削っていった。

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 社外では、路面電車のダイヤ乱れの元凶である「自家用車の軌道敷内通行(路面電車の線路上のクルマ走行)」を再度禁止すべく広島県警・自治体に働きかける、いわゆる「ロビー活動」といって差し支えない動きで、奥窪氏は各方面に徐々に味方を増やしていった。

 広島県警はその後、路面電車とクルマが共存する西ドイツへの視察を行ったうえで、1971年に「自家用車の軌道敷内通行」を禁止。さらに「電車優先信号の設置」「市内の駐車禁止」などで路面電車の運行はダイヤ通りに安定し、客足が戻ったことで同年に黒字転換を果たした。

路面電車のアップデートも進んだ

 広島電鉄と奥窪部長の攻勢はまだ続く。全国で路面電車の廃止が相次いでいたのを逆手に取り、新車で購入すれば1000万円はかかるであろう性能の車両を、1両50万円程度で各地からかき集め、前近代的な車両を一掃。これまで果たせなかった大量輸送のために、2両・3両分の長さで乗客を一気に乗せられる「連接車両」を次々と導入していった。

広島電鉄・軌道線の連接車両。「駅前大橋ルート」開業前取材にて筆者撮影

 この時期に、広島の路面電車は「古ぼけた小さな車両で、数十人を低速で運ぶ」ものから、「最新の連接車両で100人、200人をそこそこ速く運ぶ」存在に進化した。もちろん地下鉄の輸送能力とは比べ物にならないが、地下鉄だと路面電車のように「原爆ドーム前・紙屋町・立町・八丁堀……」と200~300メートルおきに乗客を拾うこともできず、路面電車存続・地下鉄建設の中止を願う声も根強かった。

 路面電車の能力が一挙に向上した上、当初の目標であった「郊外への国鉄路線乗り入れ」も絶望的となり、地下鉄の建設が議論されることは徐々になくなり、計画そのものが立ち消え状態となってしまった。