国内のビール市場におけるクラフトビールシェアは0.9%(2020年・キリンビール推定。「『SPRING VALLEY 豊潤〈496〉』の発売で1.4%の規模になります。今後は3%、長期的には5%に持っていきたい。その中で、量販マーケットで手に取りやすい『SPRING VALLEY 豊潤〈496〉』で家庭でのクラフトビール体験につなげたい考えです」(キリンビール 布施孝之社長)

 発言者が違うとは言え、同じ企業の方が同じくクラフトビールについて語っているにもかかわらず、このように説明に違いがあることには違和感を覚えました。まず、定義がないのにマーケットシェアが計測できるはずがありません。もし「ストーリー、先人の志、魂を受け継いだ醸造家の想い、それらを具現化したおいしさを味わうこと」を定義にしたとしても、おいしさを味わうことを個別に数としてカウントすることは不可能です。私にはこれらの説明は矛盾していると感じられました。

論理的整合性にかける大手の説明

 先述の通り、日本にはクラフトビールに関する統計的定義はありません。それでは、ここで言われているクラフトビールとは具体的には何を数えているのでしょうか。同年、朝日新聞デジタルに掲載された豊潤〈496〉に関するPR記事によると、キリン独自の調査に加えて、全国約6000店舗の販売実績から国内全体の売上を推計した小売店販売データを利用して算出したものと明記してあります。これはバーコードの付いた商品の購買データによるものであることは明らかです。クラフトを冠する大手のビールは事実上「プレミアムビールよりも高いもの」と同義であり、ここで示されるのは高価格帯商品のマーケットシェアであると考えると辻褄が合います。

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写真はイメージ ©AFLO

 別の視点からも矛盾が感じられます。作り手のこだわりや想いをクラフトビールの定義としてしまうと、主力のスタンダードビールにそれらがないようにも聞こえてしまいます。実際にはフラッグシップ商品はこだわりや想いの塊ですから、大手のスタンダードビールもクラフトビールにカウントしないとおかしいのではないかという気もします。そうなれば、この世にはクラフトビールだけが存在することになり、ただのビールは存在しないことになり……というように、やはり矛盾が生じてしまいます。

 このように大手のクラフトビールに関する説明は、情緒で無理やり議論を押し切ろうとしているのであって、論理的な整合性がありません。原因は、クラフトビールに関する情緒的な面を無理に統計的指標にしてしまったことでしょう。情緒的で主観的な語りと統計的で客観的な指標はどちらもクラフトビールにとって重要なものですが、それぞれ全く別のものなので、混ぜて考えてはいけないのです。ところがそれらを分けて考えるようなことなく今日まで来てしまったのが、日本のクラフトビールシーンです。そのため、不思議な現象が起こりました。