ヴェトナム戦争を背景とする、海を越えたラブストーリーである。日本人の若者が、年上のアメリカ人女性に恋をする。知的で美しい彼女に導かれ、社会に目を開いていく主人公。だがロマンチックな方向に話は進まない。滑稽で残酷な恋の幕切れ、踏みにじられる理想、政治の季節の終焉――。覚悟を決めて読み始めるべき、大人のための小説である。
終戦から五年がたった東京。岡山から上京し、水道メーターを製造する工場で働きながら早稲田の夜間部を目指していた主人公は、ある事情から、ヴァイスというアメリカ人女性と文通することになる。ホロコーストから逃れてアメリカに渡ったユダヤ人の彼女は、熱心な反戦活動家だった。
戦争の惨禍は、終戦時に十代だった主人公も身に染みている。何より、懇願して送ってもらった写真の中の彼女は、神々しいまでに美しく、恋情と欲望をかきたてた。彼はあっというまに感化され、左翼の活動家もどきになっていく。
おびただしい手紙が海を渡り、妻子を持ってからも、彼はヴァイスへの思慕を捨てられない。一度も会わないままに、二人の間には同志愛を越えた熱情が通うようになる。
理想とはかけ離れた、俗っぽくつまらない現実から逃れるように、辞書を片手に高邁な理想を手紙に書き続ける日々。やがてヴェトナム戦争が始まり、泥沼化していく中、衝撃的なニュースが飛び込んでくる。アメリカ政府への抗議のため、ヴァイスがある過激な行動に出たのだ。
その行動とは何だったのか、ここに書くことは控えるが、ヴェトナム戦争について詳しい人なら察しがつくかもしれない。あとがきで著者が述べているように、この小説には、著者をインスパイアした実在の人物がおり、当時、世界に衝撃を与えた出来事がある。
作品自体はあくまでも創作で、主人公も架空の人物である。史実に沿ったノンフィクション的な書き方をする手もあったと思うが、それをしなかった理由が、読み終えたときにわかる。この小説には複数のどんでん返しが仕込まれているのだ。
それがエンターテイメントとしての面白さにもつながっているのだが、それだけではない。理想の陰にある欺瞞と欲望、愛することの残酷さを暴く働きをするのである。
この小説は「僕」という一人称で書かれている。「僕」は一体どこにいて、誰に語りかけているのか。最後にそれを知ったとき、拳で思いきり胸を突かれたような衝撃を受けた。
ヴェトナム戦争の当事国であったアメリカでの生活が長い著者ならではの、情緒に溺れず、ある意味で冷酷な戦争の描き方に震撼しつつ、小説という虚構でしか表現できない愛の形に、本を閉じた後もしばし呆然とさせられた。