昨年8月、希少がんである乳がん“浸潤性小葉がん”のステージ3であることを公表した、梅宮アンナさん(52)。現在は、母のクラウディアさん(81)と、ときどき米国から帰国する娘の百々果さん(23)、そして今年5月に再婚した世継恭規さんと生活をともにしながら、治療と仕事を両立させている。
今回は2019年に慢性腎不全のためなくなった父・梅宮辰夫氏(享年81)について、語っていただいた。(全3回の1回目/続きを読む)
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パパの熱心な教育方針
「勉強しろ」
「テストの点数、どうだった?」
「いい学校に行けよ」
パパからそんな言葉をかけられたことは一度もなかったけど、教育熱心ではあった。でも“梅宮辰夫”だっただけに、教育方針も教えてくれることもひと味違っていた。
足し算や引き算、お箸やお椀の持ち方なんかも教えてくれたけど、それよりも大事にしていた特別授業があった。たとえば、ふぐの食べ方。
西麻布に「とく山」というふぐ料理店がある。そこの料理長の野崎さんが、パパの料理の先生でもあったので、パパの行きつけになっていて、私もよく連れて行ってもらった。といっても、私は小学生。いま振り返っても、小学生にふぐ屋さんは早い気がするが、
「将来、絶対に食べに行くんだから」
それが特別授業をする理由だった。
「ガバッと取るんじゃない。ひと切れ、ひと切れずつだぞ」
きれいに盛り付けられたふぐ刺しを、やや緊張しながらひと切れずつ箸で取っては口に運んでいた。
「職人が、薄く切って、きれいに並べてくれているのを想像するんだぞ」
ふぐを食べる際の行儀や作法を教えながら、職人さんへのリスペクトも込めるのが、料理好きのパパらしかった。お寿司屋さんで教わったことも強烈に覚えている。
「いいか、アンナ。俺以外の人間と寿司屋に行ったときに大声で『大将、大トロください』なんて間違っても言うなよ。みっともないからな」
「言うなら『トロください』だぞ」
「大トロが食べたいときはパパに言え。連れていくから」
食事に連れて行ってくれた人を差し置いて、高いものを頼むものではない。そんな一般常識を教えてくれたわけだけど、大トロを引き合いに出すのがカジキ釣りを趣味にしていたパパならでは。
「うん、わかった」
やっぱり昭和のスターだっただけに、“芸能人としてどうあるべきか”に一家言ある人だった。22歳のころ、それこそ「とく山」でパパと待ち合わせたことがあった。相手はパパだし、その後は帰って寝るだけだし、すっぴんで店へ向かった。お店に入ってパパと目があった瞬間、
「やり直し」
合言葉を言わないと入れないような店でもない。勝手知ったるは言いすぎだが、梅宮家が何度もお世話になっている店だけに、いまさら謎ルールがあるとも思えなくて、軽くフリーズした。


