大渋滞が招いたまさかの悲劇
このように、すでに複数地点で大規模な渋滞が発生していた11日、物流の乱れが各方面に混乱を生み出していたことは想像に難くないが、全国紙がこぞって報道したのは甲子園出場校を襲った悲劇だった。
この年、埼玉県から初出場となった大宮東高校は、当日に向け2800人の大応援団を結成し、55台のバスを動員。毎日新聞東京本社版12日朝刊によれば、バスは前日の夜8時に出発するも、上述の渋滞の影響により到着が6時間以上も遅れ、甲子園に着いたのは試合終了間際の午後1時頃。実際に彼らの一部がアルプス席になだれ込んだのは、同校が4点を追う状況で9回裏の攻撃に入ってからだった。
2アウトからチャンスを作るも、後続があえなく凡退。大半の生徒がアルプスに駆け込んできたのはゲームセット後のことで、毎日新聞や朝日新聞、読売新聞は「もう終わってるーっ」「半日以上も乗ってきて、着いたらおしまいなんて」と悔し涙を流す生徒らの姿を伝えている。
12日の渋滞はまさかの“自然渋滞”
下り線における混雑のピークは12日まで続き、朝日新聞名古屋本社版は同日の夕刊において、名神高速の関ヶ原IC(岐阜県)から東名高速の岡崎IC(愛知県)にかけての、断続約100kmの渋滞を報じている。
この日、東名から名神、中国道にかけては中~大規模の渋滞が各所で生じていたと見られ、翌日までの報道に「135km」という記載は見られない。後日の日本道路公団による発表で、複数区間の渋滞がつながった結果、この日の渋滞が最長135kmに至っていたことが報告された。
特筆すべきは、これだけの規模の渋滞が発生しているにもかかわらず、「台風11号の影響による帰省時期の集中」の他には明確な原因が示されなかったことである。これはつまり、135kmという絶望的な渋滞が、主に車両集中によって生じた「自然渋滞」であることを示している。
バブルの最後期にあたる当時は、年々増大していく車両台数と交通量に対して、道路のキャパシティが慢性的に、かつ著しく不足していたと考えられる。実際に、この「お盆史上最悪の渋滞」が起きたまさにその日の朝刊、読売新聞は「平成交通戦争」と題したコラム上で、車両台数の増加に対するインフラ整備の遅れを批判し、それが交通死亡事故の急増や渋滞の増加を招いていると指摘している。
