と、私の足下に転がっていた小枝がやにわに前方へ跳躍した。私はマリオもかくやと飛び上がった。小枝のさらに前方には、一匹の蜥蜴が四肢をせかせかと動かして小枝から遠ざからんとする姿があった。小枝は蛇であった。虎視眈々と蜥蜴を狙っていたのだ。蛇に悪いことをした。ん? そうではあるまい。ここは殺生を遠ざけんとする寺域、聖域なのである。私は蜥蜴を救ったのだ。普段「聖」とは没交渉の暮らしを送っている反動からか、たったそれだけのことが何やら意味ありげに思えてくる。由緒ある寺院はまこと不思議である。

 ちょっと歩いただけでこうなのであるから、この山を深更に三、四時間、しかも毎日歩けば、回峰行者はさまざまな動物に出会うに違いない。その中には人間に危害を加える者もあるはずであり、事実、無動寺谷には獣よけのための扉も設置してある。たった十五分の下り坂を歩いただけでも、行者の方々の苦労が偲ばれた。

 その後、午前十一時からの明王堂の護摩供に参加させていただいた。これは望めば誰でも参加できるものだ。そこでは本物の阿闍梨さまが、正座で足の痺れる私の両肩に畏れ多くも加持を下さった。自分で書いた物語ながら、あの阿闍梨さまの加持を本当に受けてしまった、と何だか申し訳ない思いも抱きながら、感慨深かった。瞑目し、両の手の指を組み、数十年後に訪れるであろう己が死の平らかならんことを祈った。

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 また、明王堂の鐘の音は思っていたより小さかった。物語冒頭、根本中堂にある天台座主らが無動寺谷の鐘の音が鳴らされるのを今か今かと待つシーンがあるのだが、もしかすると無動寺谷からは聞こえるようなものではないかもしれないと思った。

 だが、そこは「聞こえる」のままとした。その方が待っている者たちの焦りや静寂がうまく描ける気がするし、何より、静謐な早暁であればかすかにでも聞こえる可能性もゼロではあるまい、と無理やり己に言い聞かせた。

 無動寺谷をあとにし、アポイントを取っておいた延暦寺の寺務所に挨拶に赴いた。


 応対して頂いたご住職は、非常に物腰柔らかな方であった。今回受賞した小説は千日回峰行に材を取りました、という話にも優しく耳を傾けて下さった。また、ご本人も百日回峰行を満ぜられたとのことであった。曰く、「千日回峰行を満行した大阿闍梨さまは本当にすごい。私など到底及ぶものではありません」としきりにご謙遜なさっておられたが、午前中に回峰道の一部をほんの少し歩いただけで脚が上がらなくなってしまっていた私なんぞ、たとえたった一日でも回峰道の道程を歩き切ることはできまい。それを百日連続で歩き通した方が目の前で佇んでおられるというのが、何だか(うつつ)のことではないような気すらしてきた。ましてや、それを千日、二千日と続けられる方がおられようとは……言葉を失うばかりであった。

 ご住職のお話によれば、二〇二五年六月現在も、千日回峰行に入っておられる行者さんがお一人いらっしゃるとのことであった。

 そこで、ふと午前中のことが頭によぎる。無動寺谷の宝珠院の窓枠には、確かに藁のほどけた行者草鞋が数十足結わえ付けられていた。もしかすると宝珠院のあれは……と問うと、まさにそうだということであった。阿闍梨さまに加持を頂いたときにも感じたのだが、『白鷺立つ』は己が紡いだ「世界」のはずなのに、己がその「世界」に初めて足を踏み入れた感覚に再び陥った。この感覚は、もしかすると誰とも共有できないかもしれない。

 

 ご住職に丁重に礼を述べ、延暦寺をあとにした。

 ケーブル坂本駅を降り、比叡山坂本駅へととぼとぼ歩く。タイミングよくホームに滑り込んだ電車の中で涼みながらスマホを開くと、アプリの歩数計は一万歩を少し超えていた。千日回峰行を満行すると、行者は地球一周分の距離を歩くことになるという。およそ四万キロメートルである。「跳ぶように歩く」と称される行者の歩幅がおよそ一メートルだと仮定すると、歩数にして四千万歩である。恐ろしい数字である。しかも、道は平たんではない、険しい山道なのである。私はスマホをポケットにしまった。己が実につまらない、くだらない存在に思えてきた。逆に言えば、たとえわずかであったとしても、千日回峰行の凄まじさへの理解が深まったと言えるかもしれない。

 これだから現地へ赴くことは大切なのだと、改めて確認した次第である。

住田祐(すみだ・さち)

1983年、兵庫県生まれ。会社員。2025年『白鷺立つ』で第32回松本清張賞を受賞しデビュー。

白鷺立つ

住田 祐

文藝春秋

2025年9月10日 発売

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