つまり私が千日回峰行を認知したのは延暦寺から遠く離れたあとであり、その後図書館で文献を渉猟して何とか書き終えたものの、実際に千日回峰行の拠点である無動寺谷に足を踏み入れたことはなかったのである。千日回峰行をテーマとする物語を上梓しようとする者が現地に一度も赴いたことがないというのは、さすがに許されまい。

 ということで、湖西線の比叡山坂本駅に降り立ったのが、六月某日の朝九時過ぎであった。実は前日にUSJでコナンやマリオと戯れ、「俗」の極みのような時間を満喫したのだが、これから赴くのは「聖」の極みたる比叡山延暦寺である。金のない私は、「聖」と「俗」を同じ旅程に組み込まざるを得なかった。しかし、その分その振れ幅の大きさから、かえって「聖」を強く意識したような気もする。

 

 すでに真夏といって差し支えない坂本の町を、ケーブル坂本駅へと歩く。一歩ずつ比叡山へ近づくにつれ汗が噴き出てくる。

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 ケーブルカーの窓から、鏡を延べたような琵琶湖を眺めていると、ほどなくしてケーブル延暦寺駅に着いた。駅舎を出てすぐ左の鳥居をくぐると、無動寺坂と呼ばれる細い山道が九十九(つづら)折りになっている。

 木漏れ日を踏みながら急坂を下りる。通常の山登りとは逆で、往路が下りで復路が上りなのであった。また、その道の一部は回峰行者の回峰道となっている。山道の脇は斜面というより全き断崖である。思わなくてもいいのに、そこへ転げ落ちる己の姿をどうしても思い浮かべてしまう。そして回峰行者はこの道を、ろくに灯りもない深更、跳ぶように歩くのである。行者が「白鷺」と例えられる所以である。