この時期、嵩は注文に応じてその媒体に合わせた漫画を描く一方で、気に入ったキャラクターを主人公とする漫画を描き続けていた。三越時代に描きはじめた「メイ犬BON」という四コマ漫画のシリーズである。
嵩も暢も大の犬好きで、一軒家に住めるようになってからは三匹飼っていた。そのうちの一匹BONをモデルにした、セリフのない「パントマイムまんが」(嵩の造語)である。
BONは、ウィットに富んだいたずらをするおちゃめな犬だ。嵩はこの漫画をまとめて自費出版で本にした。そのまえがきにこうある。
夜の底に黒い犬がいて、こごえでほえる、ボン・ボン・セ・シ・ボン
さみしいひと、ボンはあなたの友人です。
あなたがゲッソリして、もう死にたいと思うとき、
あなたをどうしても微笑させるのが、生きがいです。
「さみしいひと」を「微笑させる」のは、この先、嵩の作家としての生涯にわたるテーマとなる。だがこのとき、「さみしいひと」は嵩自身だった。
やなせ・たかしはおかしな人物だ
この本には、BONが書いたという体裁をとったあとがきが付されていて、こう書き出されている。
ボクの主人やなせ・たかしはおかしな人物だ。マンガ家としてはたいしていそがしくもないのに、夜の2時、3時まで机にむかって、ボソボソつぶやきながら何かしらかいている。気が変なのかもしれない。たとえば次のようなことをしゃべる。
「芸術的なマンガというのはありうるのかしら、それはマンガの堕落ではないだろうか。十人に愛されるよりは百人に愛されたい。しかしその愛の質によってはむしろただ一人に愛された方がいいのかもしれない。よくわからないねェ、よくわからないが、とにかく面白くないマンガというのは面白くねえなあ。ああ、クサクサする、死にたくなった。おい、ボン、おめえはいいよ、オレも犬に生まれりゃよかった、コンチキショー」というぐあいで、全く支離滅裂だ。
面白いものを書きたい。でも面白いだけでいいのか。大衆に愛されたい。でもその大衆とは誰なのか―嵩の迷いが、ここにはそのままあらわれている。

