妻の犠牲があってこそ成り立った9年間

今日と同じ明日が訪れるとは限らない。大切な人に言い忘れたことはないですか? 石井さんはにこやかに私たちに問いかける。

「見えなくなったことで息もできないくらいに苦しんだ時期がありましたが、今では、目が見えなくなってからのほうが生きるのが楽になりましたよ」

石井さんは笑い、

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「見えなくなったことはこの人の人間性に影響を及ぼしたと思います。ある意味、よい転機になったんじゃないかと思います」

と朋美さんが言い添えた。

本の中で石井さんの描く朋美さんは、いかにも看護職らしく、冷静でいつも落ち着いていて、気が強いタフな女性だ。実際に会う朋美さんは、意志を持って多くを語らない。静かだが芯に自分がある、そんな気配をまとっている。

朋美さんの人生も否応なく変わった。時間、気遣い、生活設計の心配など、朋美さんが自分を削って成り立たせた9年でもある。それは絆や愛といった言葉で簡単に整理することのできる時間ではなかっただろう。

「彼が進む方向については任せています」

「彼が面白そう、とか楽しそう、と感じて進んでいったことは、だいたい間違いがないことを以前からわかっていました。なので、見えなくなってからの彼が進む方向については、よほど疑問を持たない限り、口出しはしません。彼に任せています」

こうした朋美さんの寄せる信頼が、石井さんを前に進ませてきた。

後日、朋美さんに確認したい点があり、メールをした。その返信にこんな言葉が記されていた。

〈「大変だったでしょ」と言っていただくことはよくありますが、私自身はそのときの大変さを夫のように覚えておらず、言われてみると「そんなこともあったかな」「大変だったかな」と感じる程度で。〉

現実を静かに受け止め、そのときどきに集中してきた時間だったのだろう。

「見えない」人の近くで育った長女の作文

石井さんが視力を失ったことが夫婦の形を変えたかどうかはわからない。少なくとも、もともと描いていたプランAとは異なるプランBの人生を、夫婦は必死で受け入れた。そして穏やかな暮らしを願い、手触りのある生活をつくってきた。