こどもたちにとって、物心ついたときには父は「見えない」人で、「見えない」人がいる世界を当たり前のこととして2人は育った。ある日突然、父の目の見えない友人がやってきて泊まっていく、そんな生活の中で、長女はこんな作文を書いた。
〈障害のある人との関わり方がだんだんわかってきた。そのとき、その人と仲よくなりたいと思っていることに気づいた。なぜなら、その人のことを知ろうとしたからだ。(中略)それは新しいクラスで知らなかった子と仲よくなりたいということと同じだ。〉(要約)
障害のある人とも、初めて出会った人とも、仲よくなりたい、という気持ちで関わる。出会い方には何ら変わりがないということだ。これは、石井さんが見えなくなってから、いちばん願ってきたことだった。
一生懸命に走る姿は見えないけれど…
そもそも、「見えない」ことにもグラデーションがある。だから「視覚障害者」としてひとくくりにするのではなく、個々と向き合う社会になってほしいという思いが石井さんのブラインドコミュニケーターの仕事の原点にある。
それは、障害のあるなしに関わりなく、私たちが他者とつながることの原則であるはずだ。父は長女に「平等」という感受性を授けたのだ。
こどもの成長を見られない。そのことだけが、石井さんは悲しい。ことに運動会。一生懸命駆ける姿は、見たかった景色のひとつだ。
だが、見えないけれど見えた風景がある。それは小学校の運動会だった。6年生になった長女が応援団に入り、太鼓を担当した。応援合戦が始まった。ドンッと力強く太鼓が鳴る。全身に空気の振動が響きわたる。そのとき、成長した長女の姿が石井さんの瞼のうちに鮮やかに浮かび上がった。
ノンフィクションライター
熊本県生まれ。「ひとと世の中」をテーマに取材。2024年3月、北海道から九州まで11の独立書店の物語『本屋のない人生なんて』(光文社)を出版。他に『真夜中の陽だまり ルポ・夜間保育園』(文芸春秋)。
