直接死5500人余の阪神・淡路大震災(1995年。以下阪神・淡路と表記)から今年は30年の節目。高度成長期以降、目立った大規模地震に見舞われなかった日本では、関東大震災(1923年)を念頭に「地震による火災に最大の警戒を払えば大量死は防げる」という思い込みがあった。それを打ち砕いたのが阪神・淡路だった。
あの日、近代都市を襲った「想定外」の揺れとその後の事態は、検証を経て多くの教訓をもたらしたが、以降も地震は各地で多発。その度「想定外」という言葉が繰り返されている。
直接死・行方不明者1万8000人余の14年前の東日本大震災を受け、いま太平洋ベルト地帯では、膨大な被害が想定されて「国難」とも呼ばれる南海トラフ巨大地震への備えが進められている。この春には新たな被害想定が内閣府でまとめられた。しかしその想定や備えは、果たして実効性のあるものなのだろうか。昨年1月に発生した能登半島地震などを振り返り、この国の防災の課題を検証する。(全2回の1回目/続きを読む)
「あらゆるものが壊れている」
■能登半島地震
「あらゆるものが壊れているのに驚いた。単位面積当たりの地震の強度・被害は阪神・淡路をはるかに上回る」
能登半島地震直後、被災地入りした神戸大学の室崎益輝名誉教授(防災計画)は石川県輪島市などの被害についてこう述べた。
室崎名誉教授は阪神・淡路で被災地・神戸市の災害対応の根幹となる地域防災計画で被害想定作成を主導した専門家だ。当時、震度5強の揺れを想定に盛り込みながら、現実はそれを上回る初の震度7判定となり、「想定が甘かったのではないか」との批判にもさらされた。そうした自身の経験なども踏まえ、各地で行政の委員などを歴任し、石川県の災害危機管理アドバイザーも務めていた。
室崎名誉教授は、東日本大震災を挟んで20年余りにわたって、地域防災計画で地震の想定の見直しを行ってこなかった石川県のあり方について、「もっと県とコミュニケーションをとって見直しを強く勧めるべきだった」と率直に反省の弁を述べた。その一方で、能登半島地震を受けた今後の国内の地震対策については、「耐震化が急務」としながら、「これほどの壊れ方をしたら、今後どのように備えればいいか分からない」と、この国での地震防災のあり方に不安も吐露した。




