能登半島地震を巡っては、気象庁が発表した地震の規模に当初専門家からも驚きの声が聞かれた。

「M7.6、震源の深さはごく浅い」(※当初発表。のちに「震源の深さは16キロ」に修正)

 これは気象庁マグニチュード(Mj)で比較しても阪神・淡路の3倍。モーメントマグニチュード(Mw)では7.5とされる。

「Mw」とは、「Mj」が計算の速報性に優れる半面、マグニチュード8程度で頭打ちになるのに対し、それ以上の中・大地震の規模を表すことができる地震規模の指標。これは阪神・淡路の6.9と比較すると実に9倍ものエネルギーが放出されたことになる。

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 名古屋大学の山岡耕春名誉教授*(地震学)はMw7.5という数字を「国内最悪規模の直下型地震だったとされる濃尾地震(1891年、死者7273人、Mw7.4)をも上回る規模」とみる。
*気象庁の南海トラフ巨大地震の評価検討会委員も務めた

 震度7に見舞われた輪島市と石川県珠洲市で起きた大規模な土砂崩れや建物倒壊の状況はすさまじい。もし、阪神・淡路の3~9倍とされるそのエネルギーが他の地域で放出されたら一体どうなるのか?

阪神・淡路大震災では3.5万人が生き埋めに

 同じ直下型地震タイプの阪神・淡路では、揺れの直後に約3万5000人が生き埋めとなり、近隣住民らが助け出したとされる。能登半島地震では揺れの直後の午後4時22分に大津波警報が出され、津波警報に切り替えられるまで4時間。注意報切り替えは翌日の午前1時15分で、解除に至っては午前10時にまでずれ込んだ。

阪神・淡路大震災発生後の神戸市の様子〔1995年撮影〕  ©文藝春秋

 東日本大震災で津波災害の恐ろしさは国民全体の意識に深く刻まれた。ただ、火災だけが念頭にあった阪神・淡路のときと同じように、私たちは一つ前の地震の教訓――すなわち、津波被害だけに過度な焦点の当て方をしてはいなかっただろうか。阪神・淡路のように、多くの住民が生き埋めとなっている可能性について、国や県はどこまでイメージできていただろうか。

生かされなかった教訓

 さらに阪神・淡路の教訓の一つが、地震直後には被害の実態は分からないという点だ。当時、自治体や警察・消防などが被害状況確認のために職員らを現地に派遣したが、多数の生き埋めが発生。出動直後にあちこちで市民から救出を要請される状況となり、職員はその対応に追われて情報収集が後回しになる事態が頻発したとされる。

 今回の能登半島地震ではいずれも震度7を観測した輪島市が280人中40人、珠洲市は170人中20人しか当日職員が参集できなかった。対策本部長を務める輪島市長は土砂崩れによる孤立集落にいたため、登庁が3日に、初回本部会議は6日にずれ込んだ。しかし、情報収集の要である自治体自体が被災する中、岸田文雄首相(当時)は当日夜間まで被災地首長と連絡を取ろうとしたと報じられた。