異父姉妹だと教えられたのは祖母から

――内田有紀さんは澪奈さんが生まれた頃にはすでに芸能界で活躍されていたので、一緒に住む時間はあまりなかったんですね。

澪奈 そうですね。ただ姉は一時期芸能界から引退していて、離婚した頃には実家で一緒に住んでいました。その頃、私は芸能界の仕組みを何も知らなくて。車に乗っている時にテレビのワイドショーで姉の離婚のニュースが放送されていたんです。連日テレビに姉が出ていたこともあって、私は「次はどこの番組に出るんだろうね」って言ってしまって。今考えると本当にデリカシーがなかったと思います。

――離婚直後となると、家にメディアが来たりするのではないですか。

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澪奈 来ていました。それで大型犬のワイマラナーやグレートデーンを飼い始めたんです。番犬は不審者にすぐ吠えるので、セコムの人にも「うちより早いんじゃないですか?」って言われてました。

©榎本麻美/文藝春秋

――メディアの人間だとすぐ気づくものですか。

澪奈 分かりますね。なんか違うなって。「ああ、あの人、ずっと歩いている方向が一緒だな」とか。姉とカウンターのお寿司屋さんで食べていると、横になんだか毛色が違う、違和感のある人がいるんです。それに姉も気づいて、帰っちゃったりもしましたね。

 姉はなかなかない休みを割いて、私たち家族と食事をしていたのに、結果的にそれで嫌な思いをさせてしまっているので申し訳ないなと思っていました。

――お姉さんとは父親が違うことをどのくらいの時に知ったんですか。

澪奈 中学生時代に、学校の子から「なんか週刊誌に書いてあったんだけど、お姉さんと父親が違うの?」と言われて。当時、私はそのことを知らなかったんですよ。親も姉もまだ知らなくていいと思っていたみたいです。それで母親に父親の件を聞いたら「父親は一緒だよ」と言われて、素直に信じていたんです。

 ただ私が高校生の時、母方の祖母の家に一人で行った際に、姉の話になったんです。そうしたら祖母から父親が違うと直接話を聞いて。すごく戸惑いましたし、かなりどーんと落ち込みました。「あっ、やっぱり違ったんだ」って。

 ちょうどその頃くらいからヴィジュアル系バンドにはまっていたんです。「ナイトメア」とか「the GazettE」とかを聞いていたんですが、ヴィジュアル系の曲を聞いて、なんとか乗り越えられました(笑)。ヴィジュアル系はその後も追っかけをしていて、今も「DaizyStripper」を軸に見ています。

澪奈さんが「DaizyStripper」と撮ったチェキ 本人提供

芸能事務所に応募しても姉の存在が原因で落ちてしまう

――澪奈さんご自身は、いつ頃から芸能の仕事に興味を持たれたのでしょうか。

澪奈 姉の背中も一応見てきてはいたんですが、きっかけは小さい頃によく見ていたミュージカル「美少女戦士セーラームーン」の舞台です。こういうキラキラした世界、いいなって思ったんです。

――芸能の仕事をやりたいと話した時、ご両親は何と言っていたんですか。

澪奈 最初はもちろん反対されました。「そんなに甘い世界ではない」って。姉も大変な思いをして今まで活動をしてきているので。私自身もその苦労を知っているんですけれど、それでもやりたい世界だなと当時は思っていたので。