――お姉さんに相談はしましたか?

澪奈 事務所をいくつか紹介してもらいました。逆に受けようとした事務所について「そこはやめておいた方がいいよ」とアドバイスをくれたりもしました。事務所を紹介してもらえるのですが、そこから先は色々苦労もしました。姉が内田有紀だとわかると、それを知った事務所さんは皆さん消えていくんですよ。やはり大変そうだと思われたんだと思います。

©榎本麻美/文藝春秋

――お姉さんの存在が原因で落ちていることにはやはり気付きますか。

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澪奈 それはわかります。ただ先ほど話した隠し子報道であったり、私は生まれながらにして姉に迷惑を多分かけていると思うんです。私が何をしても、同じ芸能という仕事をしていると比べられる。私自身は全然もう慣れているのでいいんですけど、そこでも色々迷惑をかけてしまうのかなって。

――事務所が見つからないということでしたが、そこからどうしたんですか。

澪奈 今の芸能界みたいにフリーで活動できる時代ではなかったので、どうしようと思って。当時デスクトップパソコンを持っていたので、それで15歳の時に始めたのが、ニコニコ生放送でした。

学生時代の澪奈さん 本人提供

 雑談メインの配信で、たまに顔も出してました。視聴者は最大で1000人ぐらい。オフ会をやったりしていました。実は今の事務所で最初にマネージャーになってくださった方はその時のリスナーさんだったんですよ。

「日芸に受からなかったらもう芸能をやめようかなと…」

――高校は芸能コースのある日出高校(現・目黒日本大学高等学校)に進学されてますね。

 同級生にはどんな方がいたんですか。

澪奈 山上兄弟の弟の暁之進君だったり、俳優の井之脇海君、あとは声優の小倉唯ちゃんが同じクラスでした。唯ちゃんはびっくりするくらいくしゃみがかわいかったのを覚えてます。本当にアニメのキャラみたいな声で「くしゅん」って。クラス中が「かわい~」となってました(笑)。

©榎本麻美/文藝春秋

 大学進学については当時は配信もやっていたのでパソコンに詳しくて、技術系の大学に行こうかなと思ってたんです。ただ、周りの方が「日芸(日本大学芸術学部)に行ってみたら」って助言してくれて。それで最初はアナウンサーになりたくて放送学科を受けたんです。でもAO入試で落ちてしまって。

 次に、別の推薦で今度は学科を変えて、映画学科演技コースを受けました。演技については高校時代に所属した小さな事務所で3年間レッスンを受けていましたし、オーディションもいくつか受けていたんです。

 日芸に受からなかったらもう芸能をやめようかなとは思っていたんです。試験は演技の実技がメインだったので、それで落ちたら私の実力なんてその程度なんだろうと一つの区切りになるかなと思っていました。演技コースの合格者って30人くらいしかいないんですけど、そこで受かったので芸能活動を続けることにしました。

次の記事に続く 内田有紀の妹と公表→「売名」「似てない」と誹謗中傷が…「出して大丈夫だと思っていたのに」澪奈(29)が語る、姉との関係を明かした“意外な理由”

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