殺意が芽生えた日

 そんな日々が続いていた2011年3月11日、東日本大震災が発生しYの実家も被災する。大きなショックを受ける彼を恵美さんは以前と変わらず束縛し、借金を返済するよう厳しく催促したり、暴言、暴力まで振るった。

 さらに4月には、彼女の命令で、Yは津波によるガレキで埋め尽くされた宮城県亘理町荒浜地区の無人の住宅に侵入、テレビ、コンポ、自動車のタイヤなど16万円相当を次々と盗み出す。後の供述によれば、これら盗品を換金してラブホテル代に充てるのが目的だったそうだが、このころから恵美さんへの殺意が芽生え始める。

 2011年6月、Yは心機一転、上京し東京都多摩市のアパートに住居を構え、交通整理の仕事に就く。これで恵美さんから逃れられると思いきや、彼女もすぐに上京し、強引な同棲生活が始まる。そして、より激しさを増す束縛や罵倒。とことん嫌気が差したYが知り合いの車で逃げようとしたところ、後部座席に隠れていた恵美さんが突如現れるというようなこともあった。

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 もはや逃げることはできず、監視は24時間体制。そのうち食事は1日1食しか与えられず、残り物を食べて空腹を凌ぐように。トイレに行くにも許可が必要となった。

写真はイメージ ©getty

 また、恵美さんがYの知人男性を呼び出し、男性の前で意図的に彼女がYを凌辱する姿を見せつけたり、Yの実家が貧しいと知りながら「金を借りて来い」と命じ従わせたこともあったという。まさに女王様と奴隷のような関係。我慢の限界に達したYが意を決して別れ話を切り出すと恵美さんは逆上し「婚約破棄だ! 慰謝料を払え。私は双子の子供を妊娠しているから養育費も必要。合わせて300万円を払え」と声を荒げた。結婚の約束も、プロポーズもしていないYは呆れかえるよりなかった。妊娠の件も嘘だったことは言うまでもない。

次の記事に続く 《懲役は…》「私が悪かった。助けて……」DV彼女を殺害後70万円を奪って逃亡…裁判長も「絶望的な状況だった」と同情した『19歳・犯人男性のその後』(平成23年)