あれだけ細心の注意を払いながら、老人は不覚にも前屈みになって、地面に落ちた血の跡を目で追った。それがすぐに跡切れているのを見たとき、何か異様な気配を感じた老人は、素早く傍らの大木に身を寄せた。その瞬間、後頭部に烈しい一撃を受け、前のめりに踏鞴(たたら)を踏んだ。倒れる寸前、老人は咄嗟に体の向きを変え、仰向けになって倒れながら銃を前に突き出し、覆いかぶさってきた熊の咽元に銃口を当てるようにして引き金を引いた。

 ドッと胸にのしかかってきた熊の重みとズキンという胸の痛みを感じながら、老人はしだいに意識を失ってゆき、いつしか深い眠りに落ちた。

 どれほどの時間が経った頃か、胸の苦しさに耐えかねて老人は、ふいに呻き声を上げた。ウーン、ウーン、ウーンと、苦しげな呻きが三声、自分の耳に入り、ハッと気がついたとき、人の声が聞こえた。

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「おい、大友さんが気がついたようだぞ。あんまり乱暴に動かすなよ。担架まだか、出来たら早く運んでいくべや」

 と言ったのは、隣りの山本さんであった。

肋骨が折れて内臓に突き刺さり…

 山本さんは、近くの人を集めてシカを運びにいったのだが、皆でシカを運び下ろす準備をしていたとき、あまり遠くはないと思われる辺りで、一発の銃声が上がるのを聞いた。だが、それっきりで、あとは何の物音もせず、大友老人も姿を見せなかった。熊をも運び出すつもりの山本さんは、八人の人を集めて行ったので、二人にシカをまかせ、あとの六人で銃声のした方へ歩いていった。そして熊の下敷きになっている老人を発見した、というのである。こうして家に運ばれた老人は、床についたまま、訥々とその日の出来事を語り、喚(よ)ばれた医者が到着したときには、もう二度と立ち上がることもできず、次の日には遂に帰らぬ人となってしまった。肋骨が折れて内臓に突き刺さり、出血が腹中に溜ったため、命を落とす羽目になったという。

手負いの熊がどんなに恐ろしいものであるか

 この当時、私の父は北海道猟友会浦河支部の幹事として、三石村の会員のお世話をしていた関係で、この猟友の訃報を逸早く知らされた。早速馳せつけ、老人の葬儀の席に顔を出した父に、山本さんたちがつまびらかに語ってくれた事の顚末が、以上の話である。

 このように、手負いの熊がどんなに恐ろしいものであるかということは、父からも、他の猟師からも、事あるごとに何度も聞かされていたし、「確実に斃(たお)せる距離でなければ、絶対に発砲するな」と固く戒められたものだった。さらに、「もし万が一、かりにも手負いの熊を出したとしたら、自分の命を賭けてでも、それを仕留めてしまうことに全力をそそげ」とまで教えこまれた。

 このような教えが、少年の私をいっそう用心深くしたのか、身近に熊の気配を感ずることがずいぶんと早くなっていた。

次の記事に続く 「熊だっ、啓子、鉄砲持ってきてもらえ」家のすぐそばにヒグマが…家族のため、まさかりを手に表へ出た男性の“顛末”