戦前~戦後の北海道の奥地では、ヒグマの気配を身近に感じて暮らしていた人間とヒグマの死闘が繰り広げられていた。“熊撃ち名人”を襲った手負いヒグマの恐怖などが克明に綴られた名著『羆吼ゆる山』(今野保著、ヤマケイ文庫)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目、前編から読む)

木に登るヒグマ(北海道斜里町) ©時事通信社

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熊はよろめきながら山の奥へ

 地面に落ちた熊は、頭を振って口から銃を放り出すと、またもや木に登りだした。羆が木に登るときは、一の枝まではそれほど早くないが、一の枝に前肢をかけると、そこから上に登るのは恐ろしく早い。まして、この木のように一の枝から地面までの間隔が短い木であれば、たちまちのうちに老人の足元まで来てしまう。

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 腰鉈を抜いた老人は、力一杯、登ってきた熊の頭にそれを叩きつけた。そしてさらに、一の枝に掛けた右前肢の指に鉈を振りおろし、指の大半を爪もろとも切り落としてしまった。

 指を切られた熊は、自分の体重を支えきれずに木から転落し、ガウーッ、ガウーッと叫びながら、その辺りを狂ったように走り回った。頭を割られ、指を切断され、腹部に浅い傷とはいえシカ弾を受け、急所は外れていたものの鉛の実弾を一発胸元深くに撃ち込まれていては、出血も多量となる。そのためか、もはや走ることができなくなったらしく、熊は前肢を庇うような仕種で、よろめきながら山の奥へ遠去かっていった。

 しばらく木の上にいた老人も、熊が戻ってこないのを確かめると、ようやく木から降り、銃を拾い上げて山を下った。

 家に戻った大友老人は、古い薬莢(やっきょう)を選び出して新しいものと取り替えてから、製の掃除棒を継ぎたして銃口から差し入れ、トントンと突いてみた。すると、さっきはいくら引いても開かなかった遊底が、ゴクンと音を立てて開いたのである。

 油を充分にくれてから布切れで拭きとり、きれいに整えた銃を傍らに置いて、老人はお湯かけ飯を漬物と一緒に腹の中へ流し込み、再度出猟の支度をして外へ出た。老人はまず、少し離れた隣の農家に足を向けた。その家の人たちは皆、裏の畑に出て大豆の穫り入れをしていたが、老人の姿を見た農家の主人が畑の縁まで上がってきて声をかけた。

「大友さん、どうしたかね、朝早くから鉄砲の音がしていたけど」

 この人は山本さんという人で、昨日大豆畑が荒らされていると言ってきた当人である。